2016年10月31日月曜日

広島城の秋 菊花展始まる

 広島を真っ赤に染めた広島カープの季節も日本シリーズ惜敗で終わり、広島にも紅葉の季節がやってきました。アストラムライン城北駅前のハナミズキの葉も赤く色づいてきました。広島城の堀にはちらほら水鳥の姿が見えます。キンクロハジロです。城内では菊花展が10月29日~11月13日の予定で始まりました。今年の特作花壇は「秋の平和記念公園」です。まだ咲いていない菊が多いですが、期間の終盤にはきれいに咲きそろうでしょう。
ハナミズキの葉が赤く色づいた

広島城の堀に水鳥の姿が見える

キンクロハジロ

菊花展作花壇(秋の平和記念公園)

菊花展(期間10月29日~11月13日)

2016年10月30日日曜日

愛媛県大三島を訪ねて(8)「日本遺産シンポジウム 村上海賊の魅力を世界へ」に参加 

 大三島を訪ねた主な目的は「日本遺産シンポジウム 村上海賊の魅力を世界へ」に参加するためです。会場の今治市上浦歴史民俗資料館(村上三島記念館)前から甘崎城跡がよく見えました。会場前では甲冑を着た武者が案内してくださいました。因島村上水軍陣太鼓から始まり松山大学の山内譲教授の基調講演、大三島出身のタレント美甘子さんをコーディネーターにパネリストとして山内譲教授、東海大学海洋学部山田吉彦教授、特別ゲストとして「村上海賊の娘」の作者和田竜氏が登壇してシンポジウムが行われました。このシンポジウムを通して村上海賊が日本の歴史に果たした役割や日本遺産に指定されたこれからの「村上海賊」の活用について大変興味深く聞くことができました。かつて海賊が活躍した大三島は現在しまなみ海道を通ってサイクリストが訪れ賑わっています。
今治市上浦歴史民俗資料館(村上三島記念館)前から甘崎城跡を望む

甲冑を着た武者に案内される

今治市上浦歴史民俗資料館(村上三島記念館)



「サイクリストの聖地」(多々羅しまなみ公園)


2016年10月29日土曜日

愛媛県大三島を訪ねて(7) 甘崎城跡

 大山祇神社から、バスで大三島BSにもどり、近くにある甘崎城跡を見に行きました。現在は古城島と呼ばれています。甘崎城は戦国時代から江戸時代初期にかけての海城で、戦国時代は能島や来島の村上海賊の拠点として使用されたようです。干潮時には石垣が現れ、岸から歩いて渡ることもできるそうですが、今回は残念ながら潮が満ちて渡れませんでした。案内板に復元画があり当時の様子がイメージできました。砂浜は野鳥の楽園となっていました。
甘崎城復元画(案内板より)

甘崎城跡(戦国時代から江戸時代初期にかけての海城)

甘崎城跡(戦国時代は能島や来島の村上海賊の拠点として使用された)

甘崎城跡(砂浜は鳥の楽園)

2016年10月28日金曜日

愛媛県大三島を訪ねて(6) 大山祇神社⑥

 大山祇神社の紫陽殿・国宝館(二棟合わせて大山祇神社宝物館)には全国の国宝・重要文化財の指定を受けた武具類の8割が保存されています。内部は撮影禁止なので紹介できませんが、源頼朝や義経奉納の鎧や護良親王奉納の太刀などの国宝や重要文化財の武具類をたくさん見ることができました。実戦で使われたと思われる刃こぼれした刀もありました。平安時代や鎌倉時代の刀がさび一つ無い状態で今日まで保存されていることに感銘を受けました。大三島海事博物館は昭和天皇の海洋生物学研究のための御採集船「葉山丸」を永久保存するために建設されたものだそうです。この外境内には斎田に稲が干してありました。この田で御田植と抜穂祭の神事が行われるようです。また文久2年(1862年)奉納の大きな立派な手水盤がありました。


紫陽殿(全国の国宝・重要文化財の指定を受けた武具類の8割が保存されている)

大三島海事博物館

斎田(御田植と抜穂祭の神事が行われる)

手水盤(文久2年奉納)

2016年10月27日木曜日

愛媛県大三島を訪ねて(5) 大山祇神社⑤

 大山祇神社拝殿は木造・切妻造り。唐破風付き向拝。檜皮葺です。本殿。拝殿は国の文化財に指定されています。1322年に兵火により焼失。1378年に再建され、その後大小の修理を重ねながら現在に至っているようです。神社の裏手の回るとたくさんのクスノキがあります。神社のクスノキ群は38本まとめて国の天然記念物に指定されています。その他200本のクスノキが群生するようです。また弘安4年蒙古襲来の時河野通有が参籠し勝利を祈願し三島水軍を率いて出陣したとき、兜を掛けたというクスノキが苔むして横たわっていました。石橋を渡ると鎌倉時代の立派な宝篋印塔が三基建っていました。国の重要文化財に指定されています。
大山祇神社拝殿

神社の楠群(国の天然記念物)

河野通有兜掛の楠

鎌倉時代の宝篋印塔(重要文化財)

2016年10月26日水曜日

愛媛県大三島を訪ねて(4) 大山祇神社④

 神門は現在造替工事中です。平成28年11月に完成の予定だそうです。工事中の神門の中をくぐって拝殿前に進みます。その前に、ここにも文化13年(1823年)に忠海の胡屋茂兵衛が奉納した狛犬がいました。
神門(造替工事中 平成28年11月完成予定)

工事中の神門をくぐって拝殿前に

神殿前の狛犬阿形(文化13年(1823年)奉納)

神殿前の狛犬吽形(忠海胡屋茂兵衛の奉納)

2016年10月25日火曜日

愛媛県大三島を訪ねて(3) 大山祇神社③

 大山祇神社の境内は広く、なかなか本殿に近づけません。左手に斎館があります。この建物は昭和5年に社務所として竣工しましたが、現在は斎館として例大祭における遣幣使、職員の参籠所などとして使われています。能因法師雨乞いの楠も隣にありました。日本最古の楠で樹齢3000年だそうです。能因法師雨乞いをしたところ三日三夜雨が降ったと伝えられています。その隣に十七神社という長い建物がありました。木造入母屋造りの諸山積神社と切妻長棟造りの十六神社が一体となった建物です。21体の木彫御神像が祭られています。少し進むと大三島に祖神大山積大神を祭った乎知命御手植えの樹齢2600年と伝えられる楠がありました。


斎館(昭和5年竣工)

能因法師雨乞いの楠

十七神社(愛媛県有形文化財指定)

乎知命御手植えの楠(樹齢2600年と伝えられる)

2016年10月24日月曜日

愛媛県大三島を訪ねて(2) 大山祇神社②

 大山祇神社の鳥居額を見ると日本総鎮守 大山積大明神と書いてあります。「祇」ではなく「積」です。大山祇神社発行の「大三島詣で」という冊子によると神社名は「大山祇」祭神名は{大山積」と書き分けているそうです。新しい総門が出来ています。これは室町時代の古図をもとに平成22年4月竣工し、翌年に両翼舎を完成させたもののようです。その前に狛犬がいます。これは昭和15年4月に奉納されたもののようです。この狛犬もすっきりした体型をしています。よく見ると吽形の方が雄のようです。「男は黙って・・・・ル」というところでしょうか。ちょっと古いか(笑)

鳥居額「日本総鎮守 大山積大明神」と書かれている

総門(平成22年4月竣工)

総門前狛犬(阿形)昭和15年奉納

総門前狛犬(吽形) 雄

2016年10月23日日曜日

愛媛県大三島を訪ねて(1) 大山祇神社①

 10月23日 愛媛県の大三島を訪ねました。大三島も村上海賊が活躍した島で、関連する遺跡があります。多々羅大橋を渡ってまず訪ねたのは大山祇神社です。この神社には全国の大山積神を祀る神社の総本社で、宝物館には国宝・重要文化財の武具などがたくさん収蔵されています。村上海賊も深く信仰していたようです。鳥居前では早速文政年間に奉納された狛犬が迎えてくれました。
多々羅大橋

大山祇神社

鳥居前の狛犬(阿形)文政6年(1823年)奉納

鳥居前の狛犬(吽形)

2016年10月22日土曜日

広島城の朝(13) 秋の訪れ

 10月22日朝の広島城の堀端の桜の木の葉はそろそろ紅く染まり始めています。堀には一羽ホシハジロがやってきていました。基町住宅の前のフウ、堀端のケヤキも少し色づいています。例年になく暖かい日が続いていますが、確実に本格的な秋がやってきています。
広島城堀端の桜の葉が紅葉し始めた

ホシハジロが一羽やってきた

基町住宅前のフウも色づき始めた

堀端のケヤキも

2016年10月21日金曜日

秋晴れの広島駅南口

 10月14日 広島駅南口を通りました。秋晴れの気持ちの良い空です。完成したBブロックのビル、猿猴橋の親柱、建設中のCブロックのビルを撮ってみました。
広島駅南口Bブロック

広島駅南口エールエール北から建設中のCブロックビルを見る

復元された猿猴橋親柱

B・Cブロック


2016年10月20日木曜日

村上海賊を訪ねて(9) 能島上陸&潮流クルーズ⑤ 伯方・大島大橋・鯛崎島くじら地蔵

 能島城の見学を済ませ、再び船に乗り、村上水軍博物館前の港に帰ります。その前に伯方・大島大橋まで回ります。これは1988年にできた全長1230mの橋です。村上水軍も瀬戸内の島々がこのような大きな橋で結ばれようとは思っても見なかったことでしょう。もう一度能島・鯛崎島の脇を通ります。鯛崎島の鯛崎鼻に地蔵が安置されています。これはくじら地蔵といって昼寝をして浅瀬に取り残されてしまったくじらを、お地蔵様のよびかけで集まった海に棲む生き物みんなの力で助けたという昔話「くじらのお礼まいり」のモデルとなった地蔵様のようです。ほのぼのとしたいい話に出合いました。
能島から再び乗船

伯方・大島大橋(全長1230m)

伯方・大島大橋の真下

鯛崎島くじら地蔵

2016年10月19日水曜日

村上海賊を訪ねて(8) 能島上陸&潮流クルーズ④ 二の丸・本丸・矢櫃・鯛崎島

 二の丸は本丸を取り巻くように帯郭となっています。櫓か住居跡・倉庫跡のような柱穴が発見されています。しかも複数回立て替えられているようです。本丸では掘立建物の柱建物が建っていたようです、物見櫓と考えられているようです。また、ここでは素焼きのかわらけの破片が一万点以上出土したそうです。 儀礼や宴会の場所と推定されています。北側には矢櫃と言われる出丸のような場所があります。弓の稽古場や武器庫があったと伝わっています。東南出丸から鯛崎島が見えます。鯛崎島には出丸があったようです。吊り橋のようなものでつながっていたといわれていますが、遺構が無いのではっきりしません。能島は海城ですがやはり矢竹が生えていました。城は無くなっても矢竹は命を繋いでいます。


二の丸(帯郭になっている)

本丸(素焼きのかわらけの破片が一万点以上出土 儀礼や宴会の場所か)

矢櫃(弓の稽古場や武器庫があったと伝わっている)

鯛崎島には出丸があった(吊り橋のようなものが架かっていたと言われているがはっきりしない)

矢竹が生えている