歴史さんぽ
2024年6月25日火曜日
6月下旬の荒谷林道(2)
今日もどんより曇っていますが、雨は降りそうにないので荒谷林道に散歩に出掛けました。ウスタケ、コガネヤマドリ、ドクツルタケと思われるキノコが梅雨に入るのを待ちかねていたように出ていました。ママコノシリヌグイの花の上でハリカメムシが交尾していたので、撮らしてもらいました。
ウスタケ
コガネヤマドリ
ドクツルタケ
ママコノシリヌグイの花の上で交尾するハリカメムシ
2024年6月24日月曜日
6月下旬の荒谷林道(1)
梅雨に入ってスッキリ晴れない日ですが、雨は降らないので荒谷林道散歩に出掛けました。林道脇ではネムノキの花が咲き始めています。この花は私が好きな花の一つです。この花を見ると小学生の頃の楽しかった夏休みを思い出します。オカトラノオも咲いています。雨が止んで嬉しそうにムラサキシジミも飛んでいます。カワラヒワが2羽、道を突いています。道に落ちた草の種のようなものを啄んでいるようです。
ネムノキの花が咲き始めた
ネムノキの花
オカトラノオの花
ムラサキシジミ
カワラヒワ
2024年6月23日日曜日
雨の日のアジサイ
梅雨に入りました。時折強い雨が降っています。雨が弱まった時、庭に出てみるとガクアジサイの花が雨に濡れていました。そこでマクロレンズで撮ってみました。まわりの花びらのように見える部分は装飾花でガクだそうです。中の部分で密集して小さな両性花が咲きます。何輪か咲いていました。拡大して見るときれいです。
雨に濡れるガクアジサイ
中心部では両性花が咲く
両性花
装飾花(ガク)
2024年6月22日土曜日
東海道53次石部宿から土山宿まで歩く(13)東海道伝馬館
東海道伝馬館がありました。この建物は江戸時代後期の民家を移築したものです。伝馬の帳場や厩舎の様子が人形で表現してあったり、箪笥階段で2階に上がってみると、地域の方が作られた東海道53次の盆景がありました。今回の東海道歩きはここまで。次回は鈴鹿峠を越えます。
東海道伝馬館
宿駅伝馬の帳場の様子
厩舎の様子
階段箪笥で2階に上がる
2階の盆景の展示
土山宿の盆景
2024年6月21日金曜日
東海道53次石部宿から土山宿まで歩く(12)
土山宿に入ると陣屋跡や高札場あと、本陣跡などが並んでいます。草むらになった所もあるし、石碑だけが残った所、立派な屋敷が残っている所もあります。土山宿では地域のボランティアガイドさんが詳しく説明してくださいました。古い建物も残る土山宿を歩きます。
土山宿陣屋跡
高札場跡
土山宿本陣跡でガイドの説明を聞く
古い建物が残る土山宿を歩く
2024年6月20日木曜日
東海道53次石部宿から土山宿まで歩く(11)
御代参街道と東海道の分岐点に来ました。ここには二基の道標が建っていました。文化4年(1807)の「右 北国たが海道ひの八まんみち」と刻まれて日野の豪商中井氏が寄進した道標と、天明8年(1788)の「たかのよつぎかんのんみち}と刻まれた道標です。この道は東海道から多賀大社参詣の経路として用いられていたようです。土山宿に着きました。この宿は江戸から49番目の宿で近江最後の宿場です。土山は古くから宿駅としての機能を有していたが、東海道の宿駅として正式に宿駅となるのは慶長6年の伝馬定書が下されてからです。土山宿の中を歩きます。土山宿の案内図や馬子唄や昔の土山宿の様子を描いた浮世絵ははめ込まれた塀も設置されています。土山は雨が降りやすい土地のようです。
御代参街道殿分岐点に建つ2基の道標
土山宿案内板
土山宿の街道を歩く
土山宿案内図
土山は雨がよく降る
2024年6月19日水曜日
東海道53次石部宿から土山宿まで歩く(10)
2000年の歴史のある瀧樹神社の前を通り、松野の渡しとの分かれ道に来ました。明治13年に橋が出来、松野の渡しは廃止されました。しばらく東海道を離れ新しい道を歩きます。途中茶畑があります。土山はお茶の名産地だという事は初めて知りました。デザインマンホールにもお茶の花がデザインされています。歌声橋で松野尾川を渡ります。
瀧樹神社
松尾の渡しとの分かれ道
土山はお茶の名産地
土山のデザインマンホール
歌声橋で松野尾川を渡る
松野尾川
2024年6月18日火曜日
東海道53次石部宿から土山宿まで歩く(9)
土山町に入ります。大野は間の宿で水口宿と土山宿の間で休憩をしたり、買い物をしたりするための商店があったところです。しかし後には旅籠も出来ていたようです。大野立場跡には明治天皇が休憩をされたということで、明治天皇聖蹟の碑が残っていました。街道松が残る市場松並木を歩いていくと一里塚跡がありました。
土山町に入る
大野の町並みを歩く
大野立場跡
街道松が残る
一里塚跡
2024年6月17日月曜日
東海道53次石部宿から土山宿まで歩く(8)
水口宿の脇本陣であった町家の軒下に猫が道行く私たちをみています。やがて東見附跡に着きました。ここで水口宿は終わりです。ここから東に向かってあるきます。江戸時代の子の道は松並木が続いていたようです。大きな岩そのものを神体とした岩神がありました。今在家一里塚跡がありました。
水口宿脇本陣
水口宿東見附
かつては松並木が続いていた
岩神
今在家一里塚
2024年6月16日日曜日
東海道53次石部宿から土山宿まで歩く(7)
古城山が見えます。この山に水口岡山この城は天正13年(1585)に秀吉の家臣の中村一氏によって築城されました。山全体を要塞化し、石垣を築くなど、大規模な城でした。関ケ原の戦で西軍に視方志敗れた三代城主長束正家は帰城後、池田長吉らに攻められて、城は炎上、落城し、正家は日野に逃れ自刃しました。しばらく歩くと高札場跡がありました。高札のレプリカも展示されています。本陣跡は建物は現存しませんが、この本陣に明治天皇が明治2年に宿泊されたということで、明治天皇行在所聖蹟の石碑が建っていました。
水口岡山城跡
高札場跡
水口宿本陣跡
明治天皇行在所聖蹟
2024年6月15日土曜日
東海道53次石部宿から土山宿まで歩く(6)
2日目は水口宿から土山宿まで歩きます。歌川広重の浮世絵と説明で江戸時代の水口宿の様子が分かります。干瓢作りが盛んだったようです。水口宿には町毎に曳山蔵があります。曳山祭は享保年間に町民により始められた祭りで、曳山巡行と水口囃子で知られるそうです。水口岡山城が築かれた天正13年(1585)に敵を迷わせるためにわざと三本の道を造らせたという三筋に着きました。そこにはからくり時計がありました。古い町家が残る旧東海道を歩きます。
水口宿案内板
曳山蔵
水口まつりの案内板
三筋からくり時計
旧東海道を歩く
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