2025年2月28日金曜日

東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩く(7)舞坂宿~浜松宿へ② 軽便蒸気機関車

 浜松宿へ向かって歩く途中に掘留ポッポ道がありました。東海道線の浜松工場への引き込み線の跡を緑の散歩道として昭和60年(1985)に整備したものです。ここには大正7年(1918)に製造された初期の国産蒸気軽便機関車ケ91タンク機関車が展示されていました。この機関車は東農鉄道(岐阜県美濃太田ー多治見間)を走っていたようです。
         ケ91タンク機関車(前部)大正7年(1918)製
          ケ91タンク機関車(後部)初期の国産軽便機関車
                  運転室
                  運転
室内部
                 機関車の案内板


東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩く(6)舞阪宿~浜松宿へ①

 舞坂宿~浜松宿に向かいます。見附石垣は舞坂宿の東見附には石垣が築かれ、番人が立って人馬の出入りを見張っていました。その石垣が今も残っています。しばらく東に進むと松並木がありました。約700m続いています。堀江領境界石という案内板が立っています。堀江はんは明治元年に旗本大沢氏が一万石で立藩しましたが、わずか3年で廃藩になったようです。秀衡の松は藤原の秀衡が側室の遺体を埋めた場所に植えたといわれます。現在は枯れて、代わりの松が植えてありました。

2025年2月25日火曜日

東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩く(4)舞坂宿へ

 2日目は弁天島海浜公園からスタートです。この地点はかつては浜名湖の中で今切渡船で渡った所ですが、今は橋でつながれています。弁天橋を渡って舞坂渡船場へ、今も灯籠や石垣、雁木が残っています。北雁木は主に大名や幕府役人が使った渡船場です。ここから舞坂宿に入ります。
                弁天島海浜公園からスタート
 
                 弁天大橋を渡る
                  舞坂渡船場
         
                   北雁木

2025年2月24日月曜日

雪の日の縮景園

 広島市中区にも雪が降りました。縮景園に行ってみると茅葺や杮葺の建物の屋根に雪が積もっていました。いつもとは違う縮景園の姿を見ることが出来ました。梅の花はまだ一部が咲いているだけでした。
                   悠々亭
                  明月亭
                  清風館
                清風館・跨虹橋遠景
              一部の紅梅白梅は咲いている
 

2025年2月23日日曜日

東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩く(3)新居宿

 新居宿に着いたのが遅かったので、新居関所を見たら、新居の本陣は閉館になっていました。大正から昭和20年代前半頃まで芸者置屋及び小料理屋であった小松楼まちづくり交流館が開館していたので入館しました。小松楼が栄えていた頃の物が陳列されていたり、中にガラスがはめ込まれた障子等懐かしい雰囲気でした。
                新居宿本陣
           小松楼まちづくり交流館(旧小松楼本館
                  小松楼内部

              ガラスがはめ込まれた障子

2025年2月22日土曜日

東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩く(2)新居関所

 白須賀宿から、建久元年(1190)源頼朝が上洛の折、橋本宿に宿泊した時にこの井戸水を茶の湯に使ったとされる風炉の井等を通って新居宿に着きました。先ず見学したのは新居関所です。新居関所は100年間、幕府直轄として警備が敷かれ、通行の際には各種手形が必要で、特に江戸へ下る女性は「入り女手形」が必要であったようです。女改之長屋もありました。元禄15年(1702)に三河吉田藩の管轄となり幕末に到っています。この建物は安政2年(1855)のもので、日本で唯一の現存する関所建造物で国特別史跡になっています。
                  風炉の井
 
新居の関
関所役人
渡船場
        
                 新居関所跡の図
          

東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩く(1)潮見坂~元宿

 少し日にちを遡りますが2月7日から9日まで、東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩きました。スタートは前回1月のゴール地点のおんやど白須賀です。潮見坂を下ると、目の前に遠州灘が現れました。歌川広重の版画そっくりです。広重はこの辺りから見た景色を描いたのかも知れないと思いながら歩きました。途中街道から少し外れてうないの松を見ました。文明8年(1476)駿河国守護今川義忠を葬った上に植えられた松だそうです。現在は枯れて切り株だけになっていますが、新しい松が植えられていました。再び街道に戻って麓まで下りると元宿です。当初、白須賀宿は潮見坂下の、この元宿にあったのですが、宝永4年(1707)の大地震と津波で壊滅的な被害を受け、坂上の現在地に移転したのだそうです。蔵法寺があります。この寺には承応3年(1654)遠州灘で漁師の網にかかった潮見観音が祀られています。宝永4年の大地震の時、丁度白須賀宿に止まっていた岡山藩主の池田綱政の夢にこの観音が現れ、大地震があることをお告げで知らされ、早立ちし難から逃れたということです。
                おんやど白須賀
               
 潮見坂を下る
                 うないの松の切株
                   
蔵法寺
                白須賀宿マップ

 

2025年2月20日木曜日

八重山4島を巡る(10)八重山島蔵元跡・八重山博物館

 八重山諸島旅行4日目。朝10時過ぎにはホテルから空港に向かい、帰りますが、少し時間があるので、ホテルの近くを散歩しました。八重山島蔵元がありました。案内板によれば、これは首里王府が八重山支配のために創設した政庁だそうです。その塀沿いに道路元標が建っていました。これは1951年に八重山群島政府が建てたものです。八重山博物館にも入館しました。昔の舟や生活用具などが展示されており興味深く観ることが出来ました。帰るまでの少しの時間の散歩でしたが有意義に過ごせて良かったです。
                 八重山島蔵元跡
 
                  道路元標
                 八重山博物館
        
                   昔の舟
                  昔の生活用具
  

2025年2月19日水曜日

山口県光市峨嵋山に登る(2)

  峨嵋山頂上から少し下った所に日和山跡があります。日当たりが良いのでここで弁当を広げました。そこから更に下ると明治維新以来の光市の戦没者を祀った峨嵋山神社がありました。そこから少し下ると岩があり見晴らしが良い場所があったので、そこから景色を眺めました。天気が良いので遠くの島までよく見えました。麓に降り象鼻ヶ岬の先端の室積港灯台で記念写真を撮ってバスに乗って帰りました。天気が良くて良かったです。

日和山跡
峨嵋山神社
                                   展望岩
展望岩からの眺め
室積港灯台
               
                   

2025年2月18日火曜日

山口県光市峨嵋山に登る(1)

 2月16日、地域の山登りの仲間と光市の峨嵋山(117m)に登りました。杵崎神社の鳥居を潜って登山開始。かなり急な参道石段を上り、杵崎神社に着きました。鉄筋コンクリート作りの立派な社殿です。この神社の由来は562年の新羅征伐の時の故事に遡ります。そこから気持ちの良い木立を登っていくと、頂上に着きました。頂上には秩父宮殿下御登山記念碑が建っていました。
               杵崎神社の鳥居を潜って登山開始
 
               急な参道石段を上る
                 杵崎神社
   
              
木立の中を気持ち良く登る
                  頂上に着いた
    

2025年2月17日月曜日

広島城を通って縮景園に

 2月17日、広島城の堀端を通って縮景園に行きました。堀ではキンクロハジロが沢山浮かんでいました。縮景園の梅の花はまだ一部咲き始めというところです。ジョウビタキのメスが一羽チョコチョコ歩いて採餌していました。
               冬空に聳える広島城天守閣
 
              堀に浮かぶキンクロハジロ
            縮景園の梅の花は一部咲き始め
                 ジョウビタキ♀
 
       

2025年2月16日日曜日

山口県光市冠山総合公園の梅

 山口県光市の冠山総合公園で梅まつりが開催されているということなので、地域の山登りの会のメンバーで行ってみました。しかし今年は開花が遅れていて、一部しか咲いていませんでした。
             冠山総合公園では梅まつり開催中
 
                   白梅
               白梅と紅梅が一部咲き始め
                   紅梅