2016年1月31日日曜日

雪景色(1)

 1月25日大寒波襲来で広島市北区の団地はすっぽり雪に覆われました。コタツモリを決め込んでいたのですが、雪が止み、青空が見えてきたので、カメラを提げて雪景色を撮りに出てみました。荒谷林道を歩くと、梢に積もった雪が青空に映えてきれいでした。谷に入るとそこは、何やら獣が歩いた足跡が山に続いています。食べ物をさがしに歩いたのでしょうか。日が当たると針葉樹に降り積もった雪が解けて音を立てて落ちます。
権現山の麓の団地もすっぽり雪に覆われた

林道から見上げると青空に雪をかぶった梢が映えて美しい

日が当たると木に積もった雪が解け音を立てて落ちる

何やら獣の足跡が山に続いている

2016年1月30日土曜日

こんなところに被爆狛犬

 広島市中区上幟町の毎日新聞広島支局の前を通りかかると、入口ロビーに何やら狛犬らしきものがありました。気になってちょっと入らせていただき説明を読むと、爆心地から700m東の八丁堀で被爆し、周辺の建物などは完全に倒壊したが狛犬はほとんど無傷だったようです。毎日新聞社はそのたくましい生命力を称え「平和」の願いを託して大切に保管してきたのだそうです。
被爆した狛犬(爆心地から700m東で被爆したがほとんど無傷)

被爆した狛犬(たくましい生命力を称え平和の願いを託して大切に保管してきた)

2016年1月29日金曜日

平和大橋歩道下部工事・本川橋の不思議な穴

 1月22日平和大橋を渡ると西詰北側にクレーンがあります。平和大橋歩道下部工事と書かれています。平和大橋の歩道は狭いので広くする工事が行われているようです。平和公園を通って本川橋を渡る時、ふと橋の鋼材を見るとあちこちに不思議な穴が開いています。本川橋は原爆でかろうじて落橋は免れたものの大破し、その後の2度の台風で落橋したため、急遽空襲で壊滅状態だった光海軍工廠の廃材を使って架けられたということを思い出しました。
平和大橋歩道下部工事

本川橋

橋の鋼材に穴が開いている

ここにも穴

よくみるとあちこちに不思議な穴が開いている

2016年1月28日木曜日

旧「かき船かなわ」のある風景

 1月22日 平和大橋を渡っていて元安川の川下を見ると、旧「かき船かなわ」がありました。川の両側にかき船が浮かぶ?風景もそろそろ見納めでしょう。新しい「かき船かなわ」はいろいろ論議はありましたが昨年10月に元安橋の東詰めに移転しています。
旧かき船かなわ①

旧かき船かなわ②

新「かき船かなわ」(2015年10月4日撮影)

2016年1月27日水曜日

雪の朝

 今年は暖冬で、梅が咲いたというようなことばかりブログに載せてきましたが、急に大寒波がやってきました。1月20日朝いつもより早く6時台のバスに乗り、広島市中心部に向かいましたが、団地内から全くバスが動かないので、アストラムライン上安駅まで歩くことにしました。凍った雪道をノーマルタイヤで走ろうという命知らずな人のせいで、道は大渋滞です。走れないだけなら、まだいいのですが一歩間違えば命にかかわる大事故につながるので、雪道の備えは十分してほしいものです。歩いていると、雪が降った山に朝日が当たってとてもきれいでした。雪の積もった屋根に朝日が昇る様子や、平和大通りの葉ボタンがうっすら雪化粧しているのを見ることができました。
大寒波がやってきた

車は大渋滞

雪が降った山に朝日が当たって美しい

朝日が昇ってきた

平和大通りの葉ボタンもうっすら雪化粧

2016年1月26日火曜日

尾道市因島を訪ねて(13) 高速船で三原へ

 帰りは村上水軍の活躍した海上から支配した島々を見ながら帰ることにし、バスで土生港に行き、高速船で三原まで帰りました。村上水軍が見た景色も、今とほとんど変わらないだろうと思いながら通り過ぎる島々を見ているうちに、船は生口橋をくぐりました。生口橋は1991年に供用開始されたしまなみ海道の一連の橋で因島と生口島を結ぶ、独特な形をした斜張橋です。村上水軍もまさか瀬戸内海が橋で結ばれるとは考えてもみなかったでしょう。三原港からJRで広島まで帰ります。港から駅までの道に合格ダコがありました。三原はタコが名産です。オクトパスする縁起のいい海の生き物です。「受験生のみなさんの健闘を祈ります!」

土生港から向かいの生名島を見る

三原行の高速船

土生港を離れる

生口橋をくぐる

三原港からJR三原駅への道で出逢った合格ダコ

2016年1月25日月曜日

尾道市因島を訪ねて(12) 金蓮寺

 金蓮寺墓地から金蓮寺に下りてきました。金蓮寺は宝徳2年(1450年)村上吉資創立の村上水軍の菩提寺です。境内には市天然記念物のモッコクや地蔵、五輪塔などがありました。石段を下りると、石の仁王像が見送ってくれました。駐車場に下りて改めて案内板の鳥瞰図を見ると、金蓮寺、片刈山城の麓まで水軍時代は海だったことが分かりました。
金蓮寺境内

金蓮寺本堂(村上水軍の菩提寺 村上吉資の創立)

モッコク(市天然記念物)

石の仁王像

駐車場案内板の鳥瞰図

2016年1月24日日曜日

尾道市因島を訪ねて(11) 村上水軍の墓地

 因島水軍城から、今日のもう一つの目的地村上水軍の墓地に向かいます。水軍城から八朔園の間を通って下ると、直接金蓮寺の墓地に行きます。そこに因島村上家歴代の墓があります。説明板に「かつて金蓮寺は中庄の東南、外浦町の谷間にあったが、その後現地に移りそれまで分散していた石塔類を金蓮寺裏山に集めたと伝える。」と書かれています。室町時代中期から後期の宝篋印塔18基他多数の五輪塔がずらりと並んでいましたが、その中で七代村上吉亮の墓だけが確認できているそうです。
因島水軍城の下の八朔園の間を金蓮寺の墓地に下りる

金蓮寺の墓地にある村上水軍の墓地(説明板)

村上水軍の墓地(宝篋印塔や五輪塔がずらりと並んでいる)

宝篋印塔は室町中期から室町後期までのものが入り混じっている

2016年1月23日土曜日

尾道市因島を訪ねて(10) 因島水軍城

 石段を上ると本丸です。因島水軍城は、因島村上氏が残した武具や遺品、古文書など歴史資料を展示している資料館です。本丸入口には兜が展示してありました。本丸は水軍資料館として村上吉充が小早川隆景より拝領した甲冑や大阿武船などが展示してありました。写真撮影は禁止です。水軍の戦い方などを分かり易く展示してあり、水軍のイメージをつかむことができました。隅櫓は船の資料館です。水軍まつりの様子が展示してありました。二の丸では戦法会議が開かれていました。
石段を上ると本丸

本丸入口に兜が展示してある

 本丸(水軍資料館として村上吉充が小早川隆景よし拝領した甲冑や大阿武船などが展示されている)

隅櫓(船の資料館 水軍まつりの様子が展示されていた)

二の丸(展示室)

二の丸内では戦法会議が開かれていた

2016年1月22日金曜日

尾道市因島を訪ねて(9) 水軍城への道④

 水軍城に向かって歩いていると歴史学者の奈良本辰也の書の碑がありました。水軍城は昭和58年に奈良本辰也の監修で観光用に築城されたものだからでしょう。隣にストックアンカーとストックレスアンカーが置いてありました。ストックアンカーが古いタイプでストックレスアンカーが現在使われているタイプのようです。水軍城が水軍資料館と船の資料館なのでここに錨が置いてあるのでしょう。城門をくぐっていよいよ城内に入ります。
奈良本辰也の書の碑

ストックアンカーA型

ストックレスアンカー

水軍城が近づいてきた

城門をくぐる

2016年1月21日木曜日

尾道市因島を訪ねて(8) 水軍城への道③

 いよいよ水軍城に向かって坂道を上ります。途中長福寺 片刈山城井戸跡と書いた立札がありました。右手に見えるのが、片刈山城跡のようです。その西側の山に水軍城が建てられました。道路脇のコンクリート壁をくりぬいて地蔵様があります。因島ではあちこちで見かけます。コンクリート壁に苔で何か模様のようなものができています。何か描いてあったのでしょうか。それとも自然にできたのでしょうか。水軍城は目の前です。金蓮寺前の駐車場に着きました。金蓮寺には村上氏の墓があるということなので、後ほど行ってみます。ここに因島市史料館がありますが、扉が閉まっています。休館のようです。


長福寺 片刈山城井戸跡

コンクリート壁の窪みに地蔵 周りに苔の模様

水軍城が見えて来た

金蓮寺山門前

因島市史料館

2016年1月20日水曜日

尾道市因島を訪ねて(7) 水軍城への道②

 水軍城麓まで来ると、古い石門が路傍にあります。門内には粗末な古い建物があるだけです。大正6年に建てられた石門です。どう見ても不似合な石門なので、近くに居られた方に聞いてみると、警察の駐在所だった建物だそうです。「あるく みる きく」を実践してみると、こちらが知りたい以上のことを知ることができます。寄り道して少し時間がかかりましたが水軍城案内の櫓が見えてきました。もうすぐ水軍城です。水軍城入口には大きな石灯籠がありました。
立派な石門が・・・

門の内には粗末な古い建物(もと駐在所だった)

水軍城案内の櫓

水軍城入口の石灯籠