千田廟公園には千田貞暁像の他に正岡子規句碑が建っています。正岡子規は日清戦争に従軍記者として派遣されるとき、出港まで宇品に滞在しました。その時詠んだ句の一句です。少々読みにくいのですが「行かば我 筆の花散る 處まで」という句です。司馬遼太郎の「坂の上の雲」によると、正岡子規が体を壊してまで、悲壮な決意で大陸に渡ったのですが戦争はほとんど終わっていたようです。この句から大陸に渡る前の子規の決意の強さが伝わってきます。宇品は干拓によって造られたので御幸通りは住宅地より高くなっています。そこを明治天皇が通られたので御幸通りになりました。広島市郷土資料館はかつて陸軍の糧秣支廠で缶詰工場でした。原爆で一部は破損しましたが、倒壊はしませんでした。原爆投下後たくさんの被爆者が避難して来たそうです。現在は建物の一部の外観を残して、内部は鉄筋コンクリートの建物にし、広島市域の人々のくらしにかかわる歴史をテーマとした博物館となりました。特に牡蠣養殖や、宇品港についての展示は充実しています。
正岡子規句碑(表) 正岡子規句碑(裏) 御幸通りは住宅地より高くなっている 広島市郷土資料館