2018年5月31日木曜日

北広島町小倉山城跡を訪ねて(3)本丸

 本丸跡は発掘調査から月日が経ち草や木が生えてイメージがわきにくいのですが、説明板が設置してあり分かりやすくなっています。石積や礎石建物などもあったようです。現在は木が立っていてあまり眺望はよくありませんが、案内板の写真を見ると発掘調査時には周りの様子もよく見えていたようで、城があった頃は、周りがよく見えてこの城が石見への街道沿いの重要な位置にあったことが分かりました。
石積の説明板

石積跡

礎石建物跡
 

小倉山城からは新庄やその周辺の地域がよく見えていたようだ
 

現在は周りに木が立って眺望はよくない

2018年5月27日日曜日

北広島町小倉山城跡を訪ねて(2)西禅寺跡から本丸

 西禅寺跡から本丸跡に向かいます。この道は石見に向かう街道だったようです。途中堀切がありました。テンナンショウが咲いていました。本丸跡に着きました。平成10・11年に発掘調査が行われ、掘立柱建物跡が見つかったようで、その様子の案内板がありました。どのような建物が建っていたのでしょうか。
本丸への道

堀切


テンナンショウ

本丸跡

掘立柱建物跡の発掘調査の様子

掘立柱建物跡

2018年5月26日土曜日

北広島町小倉山城を訪ねて(1)中世の新庄市跡~西禅寺跡

 5月20日 北広島町教育委員会主催の史跡ハイキングに参加して北広島町新庄にある小倉山城跡とその周辺を訪ねました。今回は広島県立歴史博物館の木村信幸氏に案内していただきます。小倉山城は南北朝末期に吉川経見が築いた城です。先ず向かったのは中世の新庄市跡でした。この地は近世の新庄市跡とは位置が変わっています。短冊型の地割が見られます。石見国への交通の要所に位置し、この地域の商工業の中心として栄えたようです。そこから向かったのは西禅寺跡です。西禅寺は吉川氏の菩提寺で、多くの塔頭を持つ臨済宗の大寺院であったようです。1542年に大内義隆が尼子攻めを行ったときには、この寺に寄宿しています。キショウブがきれいに咲いたショウブ園脇の道を通って小倉山城跡に向かいます。


小倉山城とその周辺案内図より
中世の新庄市跡


西禅寺跡(大内義隆も寄宿した)

キショウブがきれいに咲くショウブ園

2018年5月25日金曜日

倉敷を訪ねて(11)倉敷川に架かる橋

 倉敷ではボランティアガイドさんに1時間30分丁寧に案内していただいたので、今まで知らなかったことがよく分かり、大変参考になりました。お蔭で思わずこのブログの倉敷編は長編になってしまいました。最後に倉敷川に架かる橋ですが今橋は大正15年昭和天皇がまだ皇太子だった時倉敷に来られることになり、架設後100年以上経っていた当時の今橋を大原孫三郎が架け替えたものです。児島虎次郎のデザインで鉄筋コンクリートの橋を花崗岩で覆ったものです。欄干の龍の彫刻は内側が陰刻、外側が陽刻となっています。龍のデザインは大原孫三郎が辰年生まれだったことから。皇太子を迎えるために架け替えた橋であることから菊の紋がデザインが施されています。皇太子の訪問に間に合わせるため、わずか40日間の工期だったそうです。中橋は明治10年にそれまでの木橋から石橋に架け替えられました。アーチ状になり船が通れるようになっていますが、その橋げたは一枚岩です。どこからどのようにして運んできたのでしょうか。倉敷川では「くらしき川舟流し」が近づいてきたことに驚いた鵜があわてて飛び立つ姿が微笑ましかったです。
今橋(大正15年建造 石柱には菊の紋 内側の龍は陰刻)

今橋(外側の龍は陽刻)

中橋の橋げたは一枚岩

倉敷川の鵜

2018年5月24日木曜日

倉敷を訪ねて(10)旧大原家住宅(語らい座大原本邸)

 旧大原家住宅は江戸時代後期に建てられたと推定され国の重要重要文化財に指定されています。今年4月1日より「語らい座大原本邸」として公開されています。先ず玄関を入るとたくさんの言葉が降りそそぐ不思議な空間が現れました。五代目以降の各代が残した言葉の数々です。それをくぐると人間関係樹がありました。多くの有名人との交流があったことが分かります。大原孫三郎と家族との間で交わされた手紙の映像が映し出されてもいます。母屋と中倉の間の通路に出て、各中倉を巡ります。大原家の歴史や孫三郎の遺品、蔵書等が各倉に展示してあります。蔵書に囲まれてコーヒーを飲むことができる倉もあります。離れ座敷からよく手入れされた庭を眺めると暑さを忘れました。孫三郎もこの景色を眺めながら思いをめぐらしたことでしょう。

旧大原家住宅玄関

土間(ふりそそぐ言葉)

土間(つみあがる必然)

母屋と中倉群の間の通路

離れ座敷から庭を見る

2018年5月23日水曜日

倉敷を訪ねて(9)大原邸別館(有隣荘)

 大原邸別館(有隣荘)は大原孫三郎が病弱の妻のために昭和3年に建てたそうです。屋根瓦の色が中国風です。孔子廟がモデルになっているそうです。この緑色の瓦は特殊な釉薬が使われ、今のお金でなんと1枚3万円もしたそうです。外塀の基礎の石は高松城の石垣の石で、その凸凹に合わせて分厚い腰板が取り付けられていて隙間がありません。そういえば矢穴も古いものです。細かいところまで配慮されています。この別邸の総建築費は大原美術館の建築費より5倍位高かったと聞いて驚きました。
大原邸別館玄関

大原邸別館外塀

塀の基礎石は高松城の石垣の石。石の凸凹に合わせて腰板が取り付けられている

2018年5月22日火曜日

倉敷を訪ねて(8)大原美術館のエピソード

 今回は美術館の中には入らず、庭などを案内していただきました。中庭の「モネの睡蓮の池」ではスイレンがきれいなピンクの花を咲かせていました。このスイレンはあのモネの庭の池に咲いていてモネの代表作となっている「睡蓮」のモデルとなっている花の子孫です。美術館の窓が塗りつぶされています。これは昭和45年に名画が盗難に遭いその後塗りつぶされたようです。しかしそのニュースで大原美術館が有名になり、入館者が増えたそうです。皮肉なものですね。美術館正面のロダンの「カレーの市民」という作品には足元に確かにロダンのサインがあります。左右の作品は戦時中の金属類回収令による供出を当時の館長達の努力により免除され、現在もこうして美術館を訪れる人々を迎えてくれています。
モネの庭に咲いていたスイレンの子孫

塗りつぶされた美術館の窓

美術館前に立つロダンの「カレーの市民」

確かにロダンのサインが書かれている

2018年5月21日月曜日

倉敷を訪ねて(7)大原美術館分館の芝生広場の像

大原美術館分館の芝生広場にはいくつかの彫刻が建っています。ロダンの「歩く人」には腕も頭部もありません。壊れたわけではありません。その他ヘンリー・ムーアの「横たわる母と子」速水史朗の「道標」木村賢太郎の「祈り」どの作品も印象的です。中庭の目立たないところにさりげなく置いてあるところがすごいです。
歩く人(オーギュスト・ロダン)

横たわる母と子(ヘンリー・ムーア)

道標(速水史朗)

祈り(木村賢太郎)

2018年5月20日日曜日

倉敷を訪ねて(6)倉敷美観地区③ ガイドさんの案内で歩く① 倉敷国際ホテルの木版画・新渓園

 ボランティアガイドさんの案内で美観地区を回りました。贅沢なことに私一人です。先ず案内していただいたのは倉敷国際ホテルのロビーです。見上げると吹き抜けに世界最大の棟方志功の木版画が展示してありました。次に向かったのは新渓園。新渓園は明治26年倉敷紡績の初代社長の大原孝四郎の別荘として建てられ、現在は倉敷市に寄贈され市民に開放されています
世界最大の棟方志功の木版画(倉敷国際ホテルロビー)

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新渓園の庭園(大原孝四郎の別荘)

新渓園の手水鉢




2018年5月19日土曜日

倉敷を訪ねて(5)倉敷美観地区②

 今回は1時30分からボランティアガイドさんに案内していただくことにしているので、その前に昼食を摂ったり、土産物店などをのぞいたりして過ごしました。火の見やぐらもあります。倉敷はこれまで大火がなかったため、古い家がたくさん残ったようですが、住民の防火意識も高いのでしょう。前回パスした金賞コロッケ。たくさんの芸能人も訪れおいしそうにほおばっている写真が掲示されています。小ぶりですがなかなかおいしいです。店先では猫の置物が釣りをしていたり、倉敷出身で今年1月4日に亡くなった星野仙一記念館前には星野仙一像もありました。
火の見やぐら

金賞コロッケ

猫の釣り

星野仙一像(星野仙一記念館前)

2018年5月18日金曜日

倉敷を訪ねて(4)倉敷美観地区① 本町あたりを歩く

 阿智神社の石段の上から見た倉敷美観地区の甍の波はよく保存されていてきれいです。本町を歩くと電柱は地下に埋設されすっきりしています。観光客が楽しめるよう浴衣を着て歩いたり、人力車が走ったり、古い建物を利用した様々な店があったりし平日にもかかわらず、たくさんの人が訪れ楽しんでいました。
甍の波

本通り(美観地区には電柱がない)
 


観光客が浴衣で歩く企画もあるようだ

中国銀行倉敷本町支店前を行く人力車

古い建物を利用した店が並ぶ

倉を利用した店

2018年5月17日木曜日

倉敷を訪ねて(3)倉敷駅から美観地区へ② 阿智神社

 祠の近くの家の前には「以徳報怨之像」が座っています。どうも蒋介石の像のようです。ショウウインドウの中には戦時中の武器や生活用品等が展示されています。阿智神社の参道石段下まで来ました。健康のためにも石段を見たら上ります。まだ5月というのに真夏を思わせる暑さです。給水は欠かせません。石段脇には丁度オガタマノキの花が咲いていました。オガタマノキは平安繁栄福を招く木とされてきた神木です。天岩戸で天宇受売命(あめのうずめのみこと)が手にして舞われたのがこの木の枝とされています。彫りのいい狛犬も迎えてくれました。文化14年(1817年)に奉納されたようです。本殿は入母屋流造檜皮葺で1620年頃に建てられたようです。
蒋介石像(以徳報怨之像)

戦時中の武器や生活用品の展示

阿智神社参道石段

オガタマノキの花

参道狛犬(阿形 文化14年奉納)

阿智神社本殿(入母屋流造檜皮葺)