2015年9月30日水曜日

北広島町 今田城跡に登る(2) 三の丸・二の丸跡

 雑木林の中の登山道を気持ちよく登ります。あまり高い山ではないので、ほどなく三の丸跡に着きました。ここは釣井の壇とも言われ、右側に回り込むと井戸がありました。覗き込むとまだ水をたたえています。続いて二の丸跡がありました。かなり広い平坦部となっています。どのような建物が建っていたのでしょうか。
今田城登山道

三の丸跡(釣井の壇)

井戸が残っている

覗きこむと水をたたえている

二の丸跡

2015年9月29日火曜日

北広島町 今田城跡に登る(1) 城館跡

 9月22日北広島町の今田城跡に登りました。今田城を築いた今田氏は山県氏の一族ですが、この地に城を築いたことから今田氏を名乗りました。城館跡には木の標柱が立っていました。説明板によると麓の城館と城がセットで存在する中世城館の典型的な形のようです。城館跡の石垣は吉川元春の居館跡や万徳院の積み方と良く似ています。現在は田んぼになっています。草が生えていますが田んぼの隅に庭園跡がありました。坂道を上がっていくと、今田城こぶしの名水と書かれた小屋があり、自由に水が飲めるようになっています。今田城館跡保存会の方がイベント開催のため井戸を掘ったところ名水だったため小屋を建て、蛇口と神棚を設置されています。賽銭を入れて水をいただきました。冷たくて美味しい水でした。ここが今田城の登山口になります。水をいただいて元気が出たので早速登山開始です。
今田氏城館跡

今田氏城館跡石垣(吉川元春館跡や万徳院の積み方と似ている)

庭園跡

城館跡(今田城登山口)
今田城こぶしの名水(地域の今田氏城館跡保存会が井戸を掘った所名水だった)

蛇口と神棚が設置されている

2015年9月28日月曜日

赤穴瀬戸山城跡に登る(3) 東郭・本丸

 大手門跡から先ず東郭に向かいました。城の東、谷側からの備えの役割を果たした郭群です。江戸時代になって拡張整備されたようです。主郭部に向かうと一部石垣が残っています。草木が切られきれいに整備されています。本丸から見下ろすと段々に削平された郭が見えました。赤名の町や銀山街道がよく見えます。国境を守る重要な城だったことがよくわかります。
東郭(江戸時代に拡張整備された)

主郭部に向かう(草木が切られきれいに整備されている。一部石垣が残っている。)

瀬戸山城本丸跡

本丸から郭を見下ろす

本丸から赤名の町や銀山街道がよく見える

2015年9月27日日曜日

赤穴瀬戸山城跡に登る(2) 松田左近の墓・大手門跡

 稲荷神社まで行くと、城跡登山道と松田左近の墓への道の分かれ道となっていました。せっかくなので松田左近の墓にお参りしてから城に登ることにしました。松田左近の墓へは稲荷神社の赤い鳥居の列を潜っていきます。稲荷神社に手を合わせ、道を下り、舗装道路をまた少し登ると松田左近の墓がありました。松田左近は豊臣秀吉の家臣でしたが、後、堀尾吉晴の家臣となり、関ケ原の戦い後、堀尾吉晴が出雲の国の藩主として入封したとき、この赤穴瀬戸山城を賜り、城主として、石垣を築くなど近世城郭化したり、赤名を城下町として整備したりした人です。松田左近の墓にお参りした後、また登山道にもどり、城跡への道を登っていくと、両側が切り立った崖のようになっていたり、堀切など、城を防禦する仕組みが見られました。急坂を息を切らせながらしばらく登ると草が刈ってある郭が見えてきました。やがて大手門跡に着きました。ここには石段が残っています。

松田左近の墓への道は稲荷神社の鳥居を潜って行く

 松田左近の墓(松田左近は江戸時代初めの城主 赤穴瀬戸山城を近世城郭化し、赤名を城下町として整備した)

瀬戸山城登山道(両側が切り立っている)

城跡の郭が見えて来た

大手門跡には石段が残っている

大手門跡案内図

2015年9月26日土曜日

赤穴瀬戸山城跡に登る(1)

 石見銀山街道を歩いていて、道の駅「赤来高原」から見える赤穴瀬戸山城が気になったので、9月20日に登りました。道の駅「赤来高原」駐車場に分かり易い案内図が掲示してあります。赤穴瀬戸山城は中世に赤穴氏の居城として衣掛山に築かれた山城です。出雲・石見・備後の国境に位置することから各時代を通じ重要な役割を果たしました。戦国時代は大内氏や毛利氏と尼子氏の戦いの舞台となり、江戸時代には松江藩の国境の備えの城として松田左近により整備された山城です。赤名古道を通って登山道入り口に向かいます。赤名小学校脇に登山道入り口がありました。しばらく登ると稲荷神社に着きました。
麓から見える赤穴瀬戸山城跡

赤穴瀬戸山城案内図(道の駅「赤来高原」駐車場)

赤名古道を通って登山道入り口へ

赤名小学校脇から瀬戸山城に登る

登山道を少し登ると稲荷神社に着く

2015年9月25日金曜日

コウガイビル出現

 9月25日朝、通勤のためバス停に急いでいると歩道に何やら藁のようなものが落ちていました。もしかしてコウガイビルでは?と思い近づいてよく見ると、やはり頭が昔の笄の形をしています。間違いなくコウガイビルです。早速写真を撮りました。10年以上前に我が家の花壇で初めて出逢い、あまりにも気持ち悪いので生物に詳しい知人に画像を送って教えていただいた生き物です。それ以来出逢っていないので私にとっては幻の生き物でした。
歩道に藁のようなものが落ちている

もしかしてコウガイビル?

間違いない。頭が笄の形をしている。コウガイビルだ!

2015年9月24日木曜日

猿猴橋復元工事(2)

 猿猴橋の欄干の復元工事は現在応急的な欄干が取り付けられています。意外と工期は長く3月10日までのようです。広島駅南口Bブロックのビルの完成と合わせて猿猴橋の欄干が復元されると、魅力的な風景になりそうです。

工事期間は昭和28年3月10日まで


応急的な欄干が取り付けられている

Bブロックのビルの完成と合わせて猿猴橋の欄干も復元される

2015年9月23日水曜日

広島駅南口B・Cブロック再開発工事NOW(21)② Cブロック

 9月19日の広島駅南口Cブロック再開発工事の様子です。ビル建設がどんどん進んでいます。もう駅前からは後ろの山は見えなくなりました。エールエール屋上からも新幹線の走る姿が見えなくなるのも間近です。
広島駅南口Cブロック再開発工事①(9月19日)

広島駅南口Cブロック再開発工事②(9月19日)

広島駅南口Cブロック再開発工事③(9月19日)

広島駅南口Cブロック再開発工事④(エールエール屋上より9月19日撮影)

2015年9月22日火曜日

広島駅南口B・Cブロック再開発工事NOW(21)①Bブロック

 9月19日 シルバーウイークがスタートした日、しかし広島駅南口Bブロック再開発工事は休まず続けられていました。猿猴川川岸には彼岸花が咲いていました。久しぶりに隣のエールエールの屋上に上がってみました。屋上から見下ろしていた建設中のビルは、はるかに見上げる高さになっています。復元工事中の猿猴橋も見えます。
広島駅南口Bブロック再開発工事(駅前大橋南詰西側から9月19日撮影)

広島駅南口Bブロック再開発工事(荒神橋南詰西側から9月19日撮影)

隣のエールエール屋上からはるかに見上げる高さになっている

隣のエールエール屋上から見える上階の様子

隣のエールエール屋上から復元工事が進む猿猴橋を見下ろす

2015年9月21日月曜日

須佐ホルンフェルス

 竜巻が発生したりして、雲行きがあやしくなり、雨もポツポツと降ってきたので、行者様には行かずに下山し須佐ホルンフェルスに行きました。駐車場からホルンフェルスに行く遊歩道脇には海岸線ぎりぎりに田んぼがあり、稲が黄色く色づいていました。海岸に近づくと美しい海岸線が見えてきました。今日は比較的穏やかですが、海岸には波が打ち付けています。この波がこの美しい海岸線を形作ってきたのでしょう。須佐ホルンフェルスは泥岩や砂岩が高山のマグマによって熱変成を受け砂岩と頁岩の縞模様ができたのだそうです。山あり海ありの楽しい一日でした。
須佐湾海岸沿いに田んぼがある

遊歩道から見える美しい海岸線

打ち寄せるこの波が海岸を削った

海にそそり立った崖の砂岩と頁岩の縞模様が美しい須佐ホルンフェルス

この縞模様は堆積岩がマグマの熱で変成してできた

2015年9月20日日曜日

須佐高山登山(4) 頂上

 頂上に着くと千手観音がありました。どのような願いで置かれたものでしょうか。頂上展望台からは須佐湾や周りの山々がよく見えました。しかし急に黒い雲が出て海の方で竜巻が発生しているのが見えました。竜巻を初めてみました。頂上には電波塔が建っていました。頂上付近にホソバツルリンドウが咲いていました。
頂上の千手観音

頂上から見える須佐湾

竜巻発生

頂上の電波塔
ホソバツルリンドウ