2018年11月30日金曜日

呉市郷原町 岩山登山(2)

  登り始めてしばらくすると、登山道は岩場になります。岩山というだけあって岩の多い山です。途中水飲み場がありました。ひしゃくも置いてありましたが、あまりきれいではないので水を飲む気にはなりません。傍らに地蔵様がありました。薬師堂に着きました。ここで一休みです。早速薬師堂の上の大岩の上に上がって手を振る元気な人がいます。戦時中に松脂を取った跡のある松がありました。枯れています。松脂を取られたために弱ったのでしょうか。
岩場を上る

水飲み場
 

薬師堂で一休み

薬師堂の上の大岩の上に上がる元気な人もいる

戦時中に松脂を取った跡のある松(枯れている)

2018年11月29日木曜日

呉市郷原町 岩山登山(1)

 11月18日 呉市郷原町の岩山に地域の山登りの仲間と登りました。晴天に恵まれ絶好の登山日和です。郷原町の岩山登山口でバスを下りると早速収穫の終わった田んぼでアオサギが迎えてくれました。胡神社がありました。案内板によると岩山は中世の城があった山で、土居がこのあたりにあったようです。その土居の築造の工事の成功や五穀豊穣を願って岩山城主が勧請したものといわれているようです。いよいよ登山開始です。目指す岩山の頂上付近の岩に火の用心と大きく書かれています。これは昭和14年頃地域の消防組の人たちによって書かれたもののようです。年月を経るとともに字が薄れたリ消えかかったりしてきたので、昭和62年(1987)に「郷原町を考える会」の人たちによって修復されたようです。
アオサギが迎えてくれた

胡神社

登山開始


岩山頂上付近の岩に書かれている「火の用心」
 

2018年11月28日水曜日

野登呂山登山道整備(3)

 展望台が出来たので頂上に向かいます。途中紅葉がきれいな場所がありました。「これはぜひ皆さんに知らせたいですね。」と写真を撮ります。頂上にはイスが置いてありゆっくり景色が楽しめるようになっています。雑木が視界を遮っていますが安佐南区から中区あたりまで望めます。頂上で今後の整備計画を話しながら弁当を食べて下山しました。いい汗をかきました。
紅葉

この美しさを是非知って欲しい

頂上からは安佐南区から中区あたりが望める

今後の整備計画を話しながら頂上で昼食

2018年11月27日火曜日

野登呂山登山道整備(2)

 視界を遮る木を切り倒したり、切り倒した木でベンチを作ったりします。完成したベンチからあさひが丘団地がよく見えるようになりました。
視界を遮る木を切り倒す

切り倒した木でベンチを作る

ベンチが出来た

あさひが丘団地がよく見えるようになった

2018年11月26日月曜日

野登呂山登山道整備(1)

 11月14日 あさひが丘山歩きの会と後山協和会、あさひが丘連合自治会まち起こしボランティアの有志で野登呂山の登山道の整備をしました。野登呂山(453m)はあさひが丘団地から南東にそびえ、歩いて1時間位で登れる健康づくりにちょうどいい山です。今回はまち起こしの一環として登山道の整備をすることにしました。登山口は安佐動物公園の駐車場の脇ですが、表示がないのでよく分かりません。「ここに案内板がいりますね。」と今後の課題を見つけたり、登山道に落ちている枯れ枝を除けたり、木に絡みついているかずらを切ったり、どんな木があるか確認したりしながら上ります。登山道途中にある展望台のベンチが古くなっています。雑木が茂って展望も悪くなっています。今回はこの場所を整備することにします。
野登呂山

安佐動物公園駐車場横の道が登山口

登山道に落ちている枝を除けたりしながら上る

展望台のベンチが古くなっている

木が茂って展望が良くない

2018年11月25日日曜日

石見銀山を訪ねて(7)選鉱場跡・蔵之丞坑

 選鉱場に着きました。予想以上に広いので驚きました。案内板の写真で当時の様子が良くイメージできました。ポツンとトリカブトが咲いていたのが印象的でした。蔵之丞坑まで行ってみることにしました。トロッコ道を通ってついに蔵之丞坑に着きました。実感として金生坑から蔵之丞までつながりました。今回の石見銀山見学では大久保間歩で掘りだされた銀鉱石がトロッコで蔵之丞坑から運び出され選鉱場で選鉱され、シュートで清水谷製錬所まで落とされ、製錬される仕組みがよく分かりました。
選鉱場跡

明治29年の選鉱場写真(案内板より)

トリカブト

蔵之丞坑

2018年11月24日土曜日

石見銀山を訪ねて(6)清水谷製練所の上に上る

 清水谷製練所の上に上ってみます。上には選鉱場があるようです。銀鉱石が出てくる穴やきれいに積まれた石垣を見ながら上っていきます。お城の石垣のように算木積です。
清水谷製錬所跡の上に上がってみる

銀鉱石が出てくる穴

石垣で段が作られている

城の石垣と同じ算木積

2018年11月23日金曜日

石見銀山を訪ねて(5)清水谷製錬所跡へ

 本谷地区の見学はここで終わり、銀山公園まで行き駐車場に設置してある立体地図で場所を確認して清水谷製錬所跡に向かいます。途中下河原吹屋跡の紅葉を愛でたりしながら川沿いの道を歩いて行くと清水谷製錬所跡に着きました。まるでマチュピチュのようです。ここは明治28年(1895)、藤田組によって今のお金で数十億円の巨費を投じて建設された西洋式の精錬所跡です。しかし採算が合わずわずか1年半で操業を停止したそうです。案内板の絵図によると先ほど見た金生坑からこちらの蔵之丞坑まで800m坑道を貫き、トロッコで鉱石を運び製錬をしたようです。
石見銀山公園駐車場の立体地図

下河原吹屋跡の紅葉が美しい

清水谷製錬所跡(まるでマチュピチュ)

案内板絵図より

2018年11月22日木曜日

石見銀山を訪ねて(4)釜屋間歩

 間歩周辺には鉱石を砕くために使われた要石の破片が散乱しています。坑夫の初心者が掘削の練習をしたと思われる岩も見られます。大久保間歩からさらに山道を上っていくと釜屋間歩がありました。この場所は竹藪になっていて、新たに見つかった間歩のようです。この間歩は山師の安原伝兵衛が17世紀の初めころに開発したといわれる間歩です。作業場の屋根を取り付けるために開けたと思われる穴が岩に開けられていたり、長い石段がつけられたりしています。
鉱石を砕いた要石

坑夫初心者が掘削の練習をした岩

釜屋間歩

作業場の屋根を付けた穴などが見られる

2018年11月21日水曜日

石見銀山を訪ねて(3)大久保間歩に入る②

 大久保間歩は明治時代に拡張されているので、右左の掘削面が明らかに違います。江戸時代は鏨でコツコツ削っているのでなめらかですが、明治になってからはダイナマイトで爆破して掘っているのでゴツゴツしています。江戸時代の明かりはサザエの殻に油を入れてそれに火を灯したので、とても暗く煙も出たのでとても労働環境が悪く坑夫の平均寿命はおよそ30歳だったようです。木の階段を上って竪坑なども見て30分で見学が終わりましたが、出口の日の光がまぶしかったです。見ごたえのある間歩内見学でした。
江戸時代の掘削面はなめらか

明治時代の掘削面はゴツゴツ

江戸時代の明かり

竪坑を見るための階段

出口の光がまぶしい

2018年11月20日火曜日

石見銀山を訪ねて(2)大久保間歩に入る①

 大久保間歩に着きました。石見銀山の初代奉行の大久保長安の名前から名付けられた、石見銀山最大の間歩です。明治時代になってトロッコが入るようにさらに坑道が広げられています。ヘッドランプの付いたヘルメットを被り、長靴を履いて、いよいよ間歩(坑道)内に入ります。気分は探険隊です。さっそく天井にコウモリがぶら下がっているのがヘッドランプに照らし出されます。途中ガイドさんが懐中電灯で鉱脈を照らし出して説明してくださいます。坑道を掘って行くと所々で銀鉱脈に当たるため、そこを掘り進んでいくのだそうです。
大久保間歩

ヘッドランプを付けたヘルメット、長靴を着用して坑道に入る

ヘッドライトに照らし出されたコウモリ

鉱脈の説明

2018年11月19日月曜日

石見銀山を訪ねて(1)石見銀山大久保間歩に向かう

 11月9日石見銀山に行きました。今回は特に大久保間歩を見学するのが目的です。大久保間歩一般公開限定ツアーに参加します。先ず石見銀山世界遺産センターで石見銀山についての説明を聞きます。その後バスで大久保間歩のある本谷地区に向かいます。バスを降り少し歩くと本谷口番所跡があります。ここから銀山の区域です。しばらく歩くと下金生坑があります。室町時代から400年にわたって銀を掘り続けられた石見銀山には大小900以上の坑道が発見されているようです。抗という名が付けられた坑道は明治時代に掘削が進められたものだそうです。また少し山路を上ると金生坑がありました。

石見銀山世界遺産センターで説明を聞く

バスで本谷地区に向かう

本谷地区遺跡地図

本谷口番所跡

下金生坑

金生坑