2013年10月31日木曜日

石垣 (亀甲積み)

 石垣の積み方にはいろいろありますが、切り込みはぎの一種で、石材を六角形に加工し積み上げる「亀甲積み」というのがあります。手の込んだ美しい積み方であまり見ることができませんが、宮島の厳島神社の平舞台前の灯籠の台や広島市の広瀬神社の境内にある狛犬の台にこの積み方が使われているのを見ました。
厳島神社平舞台前の灯籠の亀甲積の台

広瀬神社の狛犬

広瀬神社の狛犬の亀甲積の台

2013年10月30日水曜日

広島の橋(7) 猿猴橋

 広島駅南口の猿猴川に架かる趣のある橋は猿猴橋です。この橋は西国街道筋にあたり広島城中から京の都に行くとき京橋の次に渡る橋です。最初に架けられたのは1591年です。現在の橋は1926年(大正15年)に架けられました。当時は親柱に豪華な飾りが付けられていましたが、太平洋戦争中に金属類回収令により取り外されました。現在復元する動きがあるようです。原爆投下時にも欄干の一部が破損しただけで落下を免れ、広島市中心部から多くの人々が避難のために渡った被爆橋梁の一つです。
広島駅南口猿猴川に架かる猿猴橋

猿猴橋北詰は再開発工事が進む広島駅南口Bブロック

なかなか味のある橋名の文字

2013年10月29日火曜日

道標

 ひろしま美術館の東側の森の中に「道標」清水九兵衛(1922~2006)制作が設置されています。かつてはひろしま美術館の野外看板の横の目立つ場所にあったのですが、位置がかわっています。現在の位置では依然ほど目立ちませんが、緑の中で像の赤い色が映えて、これもいいなと思います。

 道を歩いていて、道標に出逢うとほっとします。道標のお陰で目的地に迷うことなく到着できます。この道標はどの方向への道を指しているのでしょうか。私には「平和や幸せ」への道を指しているように思えます。現在はカーナビがあり、確実に目的地まで案内してくれます。「平和や幸せ」へ確実に案内してくれる「ナビ」はできないものでしょうか。
ひろしま美術館東の森の中にある「道標」
指しているこの方向は「平和や幸せ」への道だろうか

2013年10月28日月曜日

広島城菊花展

広島城で開かれている菊花展に行ってみました。少し時期が早いのか、つぼみの菊が多かったのが残念でしたが、それぞれ丹精込めて菊づくりをされているなと思いました。
広島城菊花展(神楽八岐大蛇を表現している)

広島城菊花展

菊花展(盆栽の部)

2013年10月27日日曜日

広島駅南口Cブロック再開発(5)

 広島駅南口Cブロックに行ってみました。もうほとんどの店が閉店していましたが、お祭りの注連縄はめぐらされていました。
 この風景は今年が最後になりますが、この地で営業されていた方々のご多幸と、再開発されて、ますます魅力ある地に生まれ変わるようにお祈りしたいものです。

カープロードもほとんど人が通っていない。

愛友市場内もほとんど閉店している。カープの提灯がさみしくゆれていた。

 シャッターが下ろされた店の前に祭りの注連縄がめぐらされている。この地で長年営業されてきた方々のご多幸と、今後この地がますます魅力ある地に生まれ変わることを祈る。

2013年10月26日土曜日

西国街道 赤坂~神辺間を歩く(5)

 少し回り道をして横尾町の町家を歩きました。この町には古い立派な町家がたくさん見られます。福塩線沿いの道を歩きついに神辺に着きました。そこで出迎えてくれたのは金毘羅宮でした。

横尾の古い民家


横尾の古い民家

 神辺の金毘羅常夜灯(この区間では路傍に金毘羅大権現の常夜灯がよく見られる。)

2013年10月25日金曜日

西国街道 赤坂~神辺間を歩く(4)

 福山名産のクワイ畑の写真を撮ったりしながら、ひたすら歩いていくと郷分土手に着きました。ここからは土手に沿って芦田川をさかのぼります。郷分土手は芦田川の洪水を防ぐため改修を繰り返した歴史の証人でもあります。土手にはセイタカアワダチソウとススキのせめぎあいの様子が見られました。かつては一面ススキが生い茂っていたはずですが現在はセイタカアワダチソウに圧倒されています。二本松があった場所には、この地で行き倒れになった旅人のために地域の人が祭祀した地蔵様がありました。説明板によると、この地蔵様は洪水で流され埋まっていたものが65年ぶりに掘り起こされ、またこの地に祀られているのだそうです。
クワイ畑(福山はクワイの名産地)

 郷分土手のセイタカアワダチソウ(芦田川は幾度となく水害を起こし、改修されかさ上げされてきた。西国街道はこの土手の背後に続く。)

街道脇にあった二本松の跡。(二代目の松が植えられている。)

 二本松のところで病で倒れ地域の人の看病のかいもなく亡くなった人を弔うために祭祀された地蔵様。説明板によれば洪水で流され土中に埋もれていたものが65年ぶりに掘り起こされ再びこの地に安置されたという。

2013年10月24日木曜日

西国街道 赤坂~神辺間を歩く(3)

 赤坂から神辺に向けてどんどん歩いていくと、旧一本松跡がありました。この地に昭和60年(1985年)まで一本松といわれ親しまれていた街道松があったそうです。残念ながら松くい虫に侵され枯れたそうです。一本松跡にある石仏は松の木の下にあったものでしょうか。この区間は地神の石塚とともに石仏も路傍にたくさんあり、地域の人に大切に祀られています。またしばらく歩いて行くと湯傳稲荷神社がありました。お参りして境内をみると、ここにも地神と書いた石塚がありました。さらに歩いていくと一里塚跡の大きな榎が見えてきました。この榎は大きな洞が幹にできていましたが、西国街道唯一の街道榎として生き抜いている榎です。これからも長く道行く人を見守ってほしいものです。

旧一本松跡(かつて一本松といわれ親しまれていた街道松が昭和60年に枯れたため切り倒された。)

街道沿いにある湯傳稲荷神社

湯傳稲荷神社境内にある地神と刻まれた石塚

山手一里塚跡(大きな洞ができているが西国街道唯一の塚榎として生き抜いている。)

2013年10月23日水曜日

西国街道 赤坂~神辺間を歩く(2)

  スベリ岩1号古墳のある山から下りて、いよいよ神辺に向けて歩きだしました。早速辻堂がありました。地域の人々がお地蔵様にお参りするとともに、集まって語り合ったり、道行く人が休んだりする場所でしょう。街道を歩く人にはありがたい場所です。街道沿いには往時をしのばせる家が所々残っています。この道で目立つのは地神です。地神は「土地の精霊」「田の神」「先祖神」的性格の神様のようです。この地域ではどのような祀り方をされているのでしょうか。今回は道を急いだので地域の人に聞くことができなかったのが心残りです。
赤坂の辻堂

西国街道沿いの家は往時をしのばせる家が所々に見られる。

坂部の地神(この地域では地神が大切に祀られている。その土地を守る神様でしょうか。)

谷尻の地蔵と地神

2013年10月22日火曜日

西国街道 赤坂~神辺間を歩く(1)

 10月21日、天気がいいので西国街道赤坂~神辺間を歩くことにしました。JR備後赤坂駅から歩き出したのですが、近くに古墳があることを知り、寄り道をすることにしました。スベリ岩1号古墳は古墳時代後期の大きな石を組み合わせた横穴式石室を有する円墳です。県内屈指の規模の古墳です。古墳への山道を歩いて行くと、クモが巣をはっていたり、ヌスビトハギがたくさん生えていて、気が付くとズボンにたくさん実がくっついていて、取るのが大変だったりしましたが、この地域が古くから栄えていたことが分かりました。
スベリ岩1号古墳(古墳時代後期の横穴式石室を有する円墳)

古墳の石室(大きな花崗岩の石を組み合わせている)

古墳への山道で行く手をさえぎっていたジョロウグモ

歩いた後ズボンにヌスビトハギの実がいっぱいくっついていた。

2013年10月21日月曜日

広島駅周辺再開発工事

 10月18日広島駅周辺の再開発工事の様子を見ました。南口Bブロックはビルの地下部分の工事が行われているように見えます。北口は道路の整備が行われていました。イズミのビルの外観はほぼできているように見えます。
広島駅南口Bブロック工事(高いクレーンが入り、ビルの地下部分の工事が行われているようだ。)

広島駅北口工事(新しい道路が作られている)

広島駅北口歩道工事

2013年10月20日日曜日

広島城の堀の水鳥

 いつまでも暑い暑いと言っていたら、台風が来て一度に寒さがやってきました。鳥たちはよく季節の移り変わりを知っていて、今年も広島城の堀に水鳥が帰ってきました。キンクロハジロやヒドリガモの姿が見られます。まだ数や種類は少ないですが、これからどんどん渡ってきて広島城の堀も賑やかになることでしょう。
広島城の堀に水鳥が帰ってきた。

キンクロハジロやヒドリガモの姿が見える。

2013年10月19日土曜日

宮島を訪ねて(3)厳島神社 菊花祭の舞楽

 宮島の日が落ちて、6時30分ごろから厳島神社の平舞台で舞楽が始まりました。本来は高舞台で奉納されるのですが、今回は台風接近で屋根のある平舞台で奉納されました。厳かに雅楽が奏でられる中で、華やかな衣装に身を包んだ舞人がゆっくりした動きで舞われました。この舞楽は6世紀から9世紀にかけてに中国や朝鮮半島、インド・ベトナムから日本に伝わったものを、日本古来の歌舞と融合し平安時代に大成したものだそうです。厳島神社には平清盛によってもたらされ現在まで800年以上も続いているということは本当にすごいことです。現在も天王寺楽所との関係は続き毎年共演したり、天王寺で途絶えていた曲を逆に厳島神社側が教えたりするというようなこともありながら伝えてきているそうです。外国とのつながり、過去から現在への深いつながり伝統の重みを感じた一日でした。
宮島の夕暮れ

振鉾 

一曲

蘇利古(長方形の白い紙布に抽象的な人面を表した「雑面(ぞうめん)」をつけて舞う。

散手

貴徳

2013年10月18日金曜日

宮島を訪ねて(2)千畳閣の絵馬など

 千畳閣で算額を見た後、ゆっくりと他の絵馬などを見ました。今までは他の場所を見るため、じっくり千畳閣内部を見たことがなかったので、いろいろな発見がありました。千畳閣の方に一番古い絵馬はどれか聞くと、「六勿銘 既飽」だと教えてくださいました。正保3年(1646年)奉納された石川丈山の書です。石川丈山といえば京都の詩仙堂を建てた江戸時代初期の文人です。広島にも住んでいたことを初めて知りました。詩仙堂にも「六勿銘」は掲げられているそうです。丈山はこの言葉を座右の銘として慎ましい生活を心がけ90才の天寿を全うされたようです。見習いたいものです。絵馬だけでなく大きな羅針盤も吊るしてあります。いつ、誰が奉納したのか、書かれたものがないのでよく分からないそうです。床に目をやると修繕のため当てた木の形がしゃもじや紅葉の形になっています。大工さんの遊び心に触れる思いがしてうれしくなりました。
千畳閣最古の絵馬 正保3年(1646年)奉納 石川丈山の書 「六勿銘 既飽」

羅針盤も! (奉納者・奉納年不明)

床の修繕跡はしゃもじや紅葉の形もある。大工さんの遊び心がうれしい。

2013年10月17日木曜日

宮島を訪ねて(1)千畳閣の算額

 10月15日 宮島を訪ねました。千畳閣にあるという算額を見ることと、厳島神社の菊花祭で奉納される舞楽を鑑賞するためです。先ず、千畳閣に行きました。算額はそこにありました。本物は非公開となっているので、昨年和算の研究者により奉納されたレプリカを見ました。算額は文政10年(1827年)に檜山義況の弟子たちが厳島神社に奉納したものらしい。数学が苦手な私にはこの問題は解けそうもありませんが算額は難しい問題が解けたことを感謝し、ますます勉学に励むことを祈願して奉納されたものだということです。八木用水を開削した桑原卯之助が、檜山義況に学んだ測量技術を生かして工事を成功させたことを知り、今までの不明を恥じる思いでした。
昨年10月に奉納された算額のレプリカ


             算学者檜山義況の弟子たちによって文政十年(1827年)に奉納された「算額」(レプリカ) 

2013年10月16日水曜日

西国街道 三永~西条四日市間を歩く(2)

 西条四日市から三永に行く途中黒瀬小学校や吉土実小学校の校長であった武田精華の碑や鏝絵の写真を撮りながら歩いていると意外と時間がかかり、三永に着いたときは3時半をまわっていました。秋の日が落ちるのは早い。この時間から松子山の中の旧道を行くことは危険なので舗装された新道を歩くことにしました。途中本来の西国街道と合流する地点にきたので、少し歩いてみました。随分ぬかるんでいて歩きにくい道でした。途中で引き返してかご松の碑や水準点を確認しながら西条駅に着いた時は5時30分で、もう薄暗くなっていました。
吉土実小学校跡地に建つ武田精華の碑や二宮金次郎の像

大黒様の鏝絵を発見

松子山を抜ける峠道

本来の西国街道はぬかるんでいた。

かご松の碑(大きな松の下で殿様が駕籠を置いて休まれたという)

国土地理院の水準点(重要な街道であったことが分かる)