2025年3月6日木曜日

3月上旬の荒谷林道

 時折小雨が降ったり、晴れたりする天気でしたが、荒谷林道に散歩に出掛けました。途中の民家の花壇ではフクジュソウのつぼみが膨らんでいました。今年は野鳥の姿が見えないことが多かったのですが、今日はヤマガラ、ミヤマホオジロ♀、ホオジロ、ジョウビタキ♀を見ることが出来ました。
                 フクジュソウ
 
                   ヤマガラ
                 ミヤマホオジロ♀
                   ホオジロ
                ジョウビタキ♀

2025年3月5日水曜日

東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩く(12)

 天竜川を越え、わずかに松並木が残る旧東海道を東に向かいます。宮之一色秋葉山常夜灯があります。この辺りの常夜灯は建物の中に入っています。それでは暗いのではないかと思いましたが、この辺りはとても風が強いので、風よけの為に覆いをしているのかとも思いました。宮之一里塚跡を通り、府八幡宮に着きました。府八幡宮は奈良時代に遠江国の治安を祈願して仲哀天皇、神功皇后、応神天皇の3神を祀り建立された古い神社です。今回の東海道ウォークはここでゴール。次回はここからスタートです。


わずかに松並木が残る
宮之一色秋葉山常夜灯
             
                 宮之一色一里塚跡
    
                  府八幡宮

2025年3月4日火曜日

東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩く(11)天竜川を渡る

 天竜川沿いに六所神社があり、その近くに中野町元標が立っていました。中野町は東海道の丁度真ん中であることから「中野町」の名がついたと伝えられています。江戸時代に東海道を行き交う旅人は「池田の渡し」で天竜川を越え、東海道の往還に出ていました。現在は新天竜川橋を渡ります。長い橋を渡っていると、真っ白い雪を被った富士山が見えました。
                  六所神社
                 
中野道路元標
                新天竜川橋を渡る

 

                富士山が見えた!

2025年3月3日月曜日

東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩く(10)金原明善生家

 3日目、浜松宿から見附宿に向かう途中に金原明善の生家があり、立ち寄りました。部屋で金原明善の業績をまとめたビデオを観たり、ガイドさんの話を聞いたりした後、室内の見学をしました。2階は氾濫の時の住民の避難場所になっていたようです。部屋には生家で使っていた道具や、明善が亡くなる直前まで乗って山を巡回したという山籠も展示されていました。金原明善は明治の初期、天竜川の氾濫による水害で苦しむ住民の為、自費で治水工事を行った人物です。その治水の考え方は、のちの天竜川治水の基本方針ともなっているということです。又水源地の植林にも力を入れ、杉や檜など292万本もの木がある、天竜美林と呼ばれる森を作ったということです。
                 金原明善生家
 
           部屋で明善の業績をガイドさんから聞く
           2階は天竜川が氾濫した時の住民の避難場所
  
               明善が使用した山籠

2025年3月2日日曜日

東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩く(9)

 家康ト鍵盤がデザインされたマンホールに送られて、浜松城から東に向かいます、馬込橋を渡ると外木戸東門があります。ここで浜松宿は終わりです。更に進むと馬込一里塚跡があります。
            家康ト鍵盤がデザインされたマンホール
 
                   馬込橋
                 外木戸東門跡
    
                 馬込一里塚跡

2025年3月1日土曜日

東海道五十三次白須賀宿から見附宿まで歩く(8)浜松宿

 浜松宿に着きました。浜松宿は、1843年の資料によると本陣6軒、旅籠94軒、家数1622軒、人口5964人で、城下町、宿場町として遠江の中心となっていました。きっかけは元亀元年(1570)に家康が引間城を大改築して浜松と改名し、居城を岡﨑から浜松に移したことによります。しかし明治7年(1874)失火により宿場の3分の2以上が焼失し、また太平洋戦争時の空襲により城下町の町割りや景観はすっかり失われてしまい、かつての面影は全く残っていません。ただ本陣跡などの案内板が立っているだけです。浜松城に行きました。浜松城は家康が29歳から45歳まで17年間過ごした城です。現在の天守閣は1953年に再建されたものです。家康の在城当時の石垣が新たに発見されるなど一部残っています。
                 浜松の川口本陣跡
 
                  浜松城
                新たに発見された石垣
        
              新たに発見された石垣の案内板