2019年11月30日土曜日

京都府かやぶきの里美山を訪ねて(1)

 11月23日 京都府のかやぶきの里 美山町を訪ねました。茅葺屋根の家がある風景が好きなので、是非訪ねてみたいと思っていた場所です。なるほど茅葺屋根の家がかたまって建っている集落があります。イチョウも黄色く色づいています。集落を撮りながら歩いていると、笑っているように見えるヤギに逢いました。天気がいいので気持ちがいいのでしょう。
かやぶきの里 

茅葺の家

茅葺屋根のある風景

イチョウの葉が黄色く色づいていた

ヤギも笑っている

2019年11月29日金曜日

広島市南区楠那学区を歩く(3)

 穴神社東側に倉田百三文学碑がありました。倉田百三は庄原市の出身ですが、健康が悪化したため、暖かいこの地に移り住み、療養の傍ら戯曲「出家とその弟子」の著作し完成させたのだそうです。穴神社は享保16年(1731年)に創立され、この地には大正9年(1920年)に改築されたようです。爆心地から3840mの被爆建物です。拝殿に埋め立てられる前の楠那学区の写真が掲げてありました。石段下に玉乗り型の狛犬と忠魂碑がありました。最後に見学したのは波返し跡です。高波を防ぐため、石積みの上部に平らな大きな石を海側に突き出して並べて置いたものです。  今はすっかり住宅地になっていますが、かつては海岸沿いだった痕跡が残っていました。今回は駆け足の見学でしたが、改めてゆっくり探索してみたいと思いました。
倉田百三文学碑(平成14年3月建立)

穴神社参道石段

穴神社(被爆建物)

埋め立てられる前の楠那学区の写真

穴神社狛犬と忠魂碑

波返し跡

2019年11月28日木曜日

広島市南区楠那学区を歩く(2)

 昔の漁師町の狭い道を歩きます。胡神社は寛保年間(1741~1743)の創建。穴神社の祭礼の時の御旅社となっています。石ぶろはサウナ風呂で岩山の岩をくりぬいて、松葉や柴木を燃やして岩穴全体を熱し、その上にアマモを塩水で洗って敷き詰め、海水を浸し、ムシロを延べたものであったようですが、現在は営業していません。風呂の入り口に石像が置かれているのが気になりました。楠那公民館の入り口に奉安殿と二宮尊徳像がありました。この地はかつて楠那小学校があった所です。しばらく進むと道標があり右 穴神社 日宇那説教所 宇品道 丹那区の文字が読み取れました。道を挟んで清水神と地蔵尊が並んであります。清水神は享保18年(1733)、地蔵尊は文化元年(1804)に建立されたもののようです。水を溜める泉は今でも水が湧き出ていますがトタン板でおおわれています。海岸のこの地ではきれいで枯れない湧水は貴重だったのでしょう。
胡神社

奉安殿と二宮尊徳像

石ぶろ

石ぶろ入口に置かれた石仏

道標(右 穴神社 日宇那説教所 宇品道 丹那区)

清水神と地蔵尊が並んでいる

2019年11月27日水曜日

広島市南区楠那学区を歩く(1)

 少し日にちは遡りますが、11月15日広島市南区の楠那学区を地域の方の案内で歩きました。スタート地点は新宮神社。元は寛永10年(1633年)に古くからあった山王さんを建てられましたが明治42年に邇保姫神社に摂取されていました。この建物は戦後この地に建てられたようです。その近くの光明寺は明治6年に説教場として建てられたのが始まりで、昭和30年に光明寺と改称されました。昭和20年8月6日に爆心地から4、960mで被爆した被爆建物です。この地域は今は埋め立てられ、工場や民家が建ち並んでいますが、かつては漁村でした。山と住宅の境を流れる川に岩鼻がありました。かつての海岸線です。山の麓に日清・日露戦争での戦死者を供養するための忠魂碑が建てられていました。昭和8年建立です。またその近くに草で覆われた石碑がありました。聖上陛下登極記念林碑だそうです。これは明治43年に黄金山の官有林の払い下げを受け、仁保島の村有財産としたことを記念して建立されたもののようです。
新宮神社

光明寺(被爆建物 爆心地から4960m)





岩鼻(かつては海岸だった)

忠魂碑(昭和8年建立)

聖上陛下登極50年記念林碑

2019年11月26日火曜日

仏通寺の四天王石像

 仏通寺の境内の多宝塔の近くに石像が置かれています。邪鬼を踏みつけた石像は四天王像で持物から持国天と多聞天かと思われます。邪鬼の顔を見ていると私の顔に見えてきます。いくつになっても出ていかない私の心にある三毒(貪瞋痴)の邪鬼をしっかり踏みつけてほしいものです。
持国天か?

持国天?に踏みつけられた邪鬼

多聞天か?

多聞天?に踏みつけられた邪鬼

2019年11月25日月曜日

仏通寺の紅葉を見る

 新高山に続いて、仏通寺の紅葉を見に行きました。丁度見頃でした。インコも犬も紅葉に見惚れていました。
仏通寺(紅葉を見るインコ)

仏通寺(橋の上から紅葉を見る観光客)

仏通寺(灯籠に並ぶ紅葉)

仏通寺(犬も紅葉見物)

2019年11月21日木曜日

三原市 新高山城跡に登る(3)

 詰の丸には石鉄大権現(いしづちだいごんげん)と書いた石碑とともにたくさんの石像が安置されていました。石鎚山を神体山とする愛媛県西条市にある真言宗石鉄派の総本山前神寺や石鉄神社に関わりがあるようです。小早川氏の城が三原城に移り、新高山城が廃城になって、この山は修行の山になったようです。岩陰にツメレンゲが咲いていました。初めてみました。詰の丸から少し下がったところに釣井の段があり、円く石を積んだ井戸が残っていました。6ヶ所あるそうです。まだ水を湛えた井戸もあります。
石鉄大権現の碑

石像①

石像②

石像③

ツメレンゲ

釣井の段にはまだ水をたたえた井戸がある

三原市 新高山城跡に登る(2)

 匡真寺跡に着きました。寺跡に瓦がたくさん散らばっています。きれいに色づいた紅葉がありました。二の丸跡を過ぎ本丸跡に向かいます。崩れた石垣の大きな石が転がっています。見晴らしがいい詰の丸に着きました。ここが頂上です。高山城、沼田川、そして本郷の街、遠く瀬戸内海まで見えます。
匡真寺跡(たくさん瓦が落ちている)

匡真寺跡の紅葉

二の丸(中の丸)

本丸へ(大きな石が転がっている)

詰の丸

詰の丸からの眺め(高山城跡、沼田川本郷の街、瀬戸内海まで見える)

2019年11月19日火曜日

三原市 新高山城跡に登る(1)

 11月17日 三原市の新高山城跡に地域の山登りの仲間と登りました。新高山城は小早川隆景が天文21年(1552)に築き、慶長元年(1596)三原城に移るまで小早川氏の本拠となった城です。登山道を登り始めてすぐに案内板がありました。立体的な整備イメージ図があり城跡の全体像が分かりやすかったです。しばらく登ると番所跡がありました。3段になっており、土塁も確認できました。どんな建物が建っていたのでしょうか。
新高山城跡(1552年小早川隆景が築いた)

新高山城の整備イメージ図(案内板より)

番所跡に着いた

番所跡の土塁と削平地

2019年11月18日月曜日

東広島市写真撮影紀行(4) 西条②

 東広島市西条町の酒蔵巡りは何度もしていますが、今回初めて見たのは賀茂泉酒造の酒蔵に施された大きな鏝絵です。今年の春に新しく広島左官マイスターにより施された大黒天と恵比寿天の目出度い図柄の鏝絵です。JR西条駅の北側に回り教善寺の大イチョウを撮り、御建神社に行くと、私の好きな子連れ狛犬がいました。しかも阿形、吽形とも子連れです。子狛は玉の上に乗っています。奉納された嘉永7(1854)年は日米和親条約が締結された年です。とても良い彫の狛犬です。当時の西条の繁栄振りが偲ばれます。
青空に聳え立つ2本の煙突

酒蔵に新しく大黒天と恵比寿天描かれた鏝絵が

教善寺の大イチョウ

御建神社の子連れ狛犬(吽形)

御建神社の子連れ狛犬(阿形)