歴史さんぽ
2018年3月31日土曜日
安佐動物公園のサクラ
3月30日 安佐動物公園に散歩。27日に行ったときはまだつぼみだったのですが、サクラが満開でした。いつもは平和公園のサクラより一週間くらい遅く咲くのですが、今年はほとんど同時期に咲きました。暑い位の陽気でライオンもお昼寝中でした。
安佐動物公園の駐車場のサクラ
園内のサクラ
ライオンもお昼寝
2018年3月30日金曜日
平和公園のサクラが満開
3月29日平和公園近くを通りかかると、丁度サクラが満開で、平日にも関わらずたくさんの人が訪れお弁当を広げています。そこで平和公園内を通って平和大通りまで行ってみました。サクラの花のトンネルをたくさんのひとが花を見上げながら歩いています。シダレザクラも満開でした。
満開の桜の木の下で弁当を広げる人々
ひよこも花見
サクラの花のトンネルを多くの人が花を見上げながら通る
太陽の光を透かして見るサクラの花びらも美しい
シダレザクラも満開
2018年3月29日木曜日
土師ダムは今
3月28日土師ダムに行ってみました。サクラの花はつぼみ、もう少しで開花するところですが、貯水量が多く水位が上昇しBMXコースやのどごえ公園のガーデンテーブルも水に浸かっています。あの水の中のテーブルで弁当を食べたら楽しいでしょうね。でも危険です。立ち入り禁止です!サクラの木も水に浸かっています。
BMXコースは使用禁止
木もガーデンテーブルも水に浸かっている
サクラの木も水の中
サクラの開花はもうすぐ
2018年3月28日水曜日
夢二郷土美術館・岡山後楽園・岡山城を訪ねて(8)岡山城②
岡山城の天守は4重6階の複合式望楼型です。1945年戦災で焼失したため現在の天守は1966年にコンクリートで外観復元されたものです。本丸跡では案内板に模型図が掲示されており、地面にかまどの位置などが分かるようになっており当時のイメージをつかむことができました。不明門をくぐり天守に向かいます。天守の中はミュージアムになっていました。最上階からは岡山の街を展望することができました。
岡山城天守(4重6階1966年外観復元)
岡山城本丸模型図(案内板より)
本丸かまどの跡
不明門(あかずのもん)から天守閣へ
天守へ
天守から後楽園方面を眺める
2018年3月27日火曜日
夢二郷土美術館・岡山後楽園・岡山城を訪ねて(7) 岡山城①
岡山城への入り口のところに、歴代城主の家紋をあしらった石碑が置いてありました。宇喜多氏、小早川氏、池田氏と変わっています。廊下門をくぐり城内に入ります。月見櫓があります。月見櫓は岡山城で江戸時代の建物で現存する唯一櫓です。国の重要文化財に指定されています。堀出された宇喜多秀家による築城時の石垣があります。
岡山城歴代城主の家紋
廊下門
廊下門内側
月見櫓(国指定重要文化財)
宇喜多秀家の築城時の石垣
2018年3月25日日曜日
平和公園のサクラが開花
3月22日に広島地方のサクラの開花宣言が発表されたので3月24日に平和公園に行ってみました。スズメも花見をしていました。まだ一部咲きというところですが、たくさんの人が訪れサクラの花をスマホで撮ったり、花の前で記念写真を撮ったりしていました。これから暖かくなると一気に咲くことでしょう。
サクラにスズメ
平和公園のサクラが咲き始めた
まだ一部咲き
夢二郷土美術館・岡山後楽園・岡山城を訪ねて(6) 岡山後楽園から岡山城へ
沢の池に浮かぶ中の島に架かる太鼓橋、沢の池の中に浮かぶ中の島や御野島、対岸に慈眼堂が見えます。慈眼堂脇の大岩は大立石同様36個に割って運ばれ組み立てられたものです。これの陰陽石だそうです。沢の池に置かれた岩の上で甲羅干しをする亀を見ながら後楽園を出て、旭川に架かる月見橋を渡って岡山城に向かいます。
中の島に架かる太鼓橋
沢の池の中に浮かぶ中の島や御野島 対岸に慈眼堂が見える
慈眼堂と境内にある烏帽子岩
池の中の岩の上で亀が甲羅干し
旭川に架かる月見橋を渡って岡山城へ
2018年3月24日土曜日
夢二郷土美術館・岡山後楽園・岡山城を訪ねて(5)岡山後楽園④
唯心山の麓にも陰陽石があります。説明を聞かれた皇后様が「オホホ」と笑われたので 別名オホホ石といわれているそうです。今回すべて確認することはできませんでしたが後楽園には大小合わせて8個もの陰陽石があるそうです。藩主にとって子孫繁栄がいかに大切だったかが分かります。約6mの唯心山からは広い園内が見渡せます。曲水に八つの木の板を組み合わせた八橋を渡って流店に行きます 流店は建物の中に水路が通されており、藩主もここで一服されたようです。
陰陽石
(オホホ石)
唯心山からの眺め(唯心山は約6mの築山で広い園内が見渡せる)
八橋を渡って流店へ
流店(建物の中に水路が通されている)
2018年3月23日金曜日
夢二郷土美術館・岡山後楽園・岡山城を訪ねて(4)岡山後楽園③
能舞台を土手の上に見ながら進むと大立石という大きな岩がありますが、ひびがあります。聞くと大きな岩を90数個に割ってこの地に運びまた組み立てたそうです。陰陽石だそうです。茂松庵は江戸時代には花葉軒と呼ばれ藩主が花や紅葉を眺めてくつろいだそうです。藩主が城から舟で渡って来た時の舟着き場だった御舟入跡を通り廉池軒に。廉池軒にはくの字に曲がった橋を渡って行きます。
能舞台
大立石(巨岩を93個に割り、また組み立てた。陰陽石)
茂松庵(藩主は花や紅葉を眺めてくつろいだ)
御舟入跡(藩主が城から舟で渡って来た時の舟着き場跡)
廉池軒にはくの字に曲がった橋を渡って行く
2018年3月22日木曜日
夢二郷土美術館・岡山後楽園・岡山城を訪ねて(3)岡山後楽園②
岡山後楽園は兼六園、偕楽園とならび日本三名園のひとつです。東京ドームの約倍の広さがあるそうです。沢の池の周りを巡る池泉回遊式の庭園です。短い時間でとても全部廻って見ることはできません寒翆細響軒という東屋や芝を大量に使った広い庭があります。この芝生は江戸時代はもっと狭くほとんど田んぼだったようです。明治以降だそうです。春先の芝焼きの様子をテレビニュースで観たことがあります。もう少ししたら美しい緑のじゅうたんになることでしょう。延養亭は藩主が後楽園を訪れた時の居間として使われた後楽園の中心的な建物で、その前庭では結婚式の前撮りが行われていました。
寒翆細響軒
芝を大量に使った広い庭
延養亭では結婚式の前撮りが行われていた
延養亭には藩主の居間がある
2018年3月21日水曜日
夢二郷土美術館・岡山後楽園・岡山城を訪ねて(2)岡山後楽園①
夢二郷土美術館見学後、岡山後楽園に行きました。後楽園でも観光ボランティアの方に丁寧に説明していただきました。後楽園は岡山藩主池田綱政公が家臣の津田永忠に命じて1687年に着工、1700年に一応の完成を見た大名庭園です。特別名勝に指定されています。弓場やタンチョウを見たりしながら進むと茅葺の観騎亭がありました。ここから藩主が家臣の馬術の腕前を見たそうです。後楽園にはきれいな曲水が流れています。現在は伏流水を利用していますが、かつては旭川の約4Km上流から対岸まで引いた後楽園用水を使い、園内の池や滝に利用していたようです。
弓場
タンチョウ
観騎亭
曲水(かつては旭川の約4Km上流から後楽園用水を引き利用していた)
2018年3月20日火曜日
夢二郷土美術館・岡山後楽園・岡山城を訪ねて(1)夢二郷土美術館
3月17日 岡山の夢二郷土美術館・岡山後楽園・岡山城を訪ねました。とても良い天気で気持ち良く見て歩くことができました。風見鶏のあるとんがり屋根、レンガ造りの夢二郷土美術館は竹久夢二生誕100年を記念して建てられ、昭和59年3月に開館した美術館で、夢二の作品や資料をたくさん展示していました。特別に夢二の生涯や作品のことなどを美術館の方に説明していただき興味深く見ることができました。夢二の作品は今も古くなっていないところがすごいです。庭には歌碑がありました。「青麦の青きをわけてはるばると逢いに来る子とおもへば哀しも」と書いてあるようです。
夢二郷土美術館
倉のような建物もある
歌碑
夢二の絵ハガキなどを売っている
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