2014年11月30日日曜日

広島城東堀端 池田勇人像、歩兵第十一聯隊門柱

 広島城の東堀端に池田勇人像があります。現在中国新聞に幸田真音の小説「この日のために」が連載されています。それに池田勇人のことが書かれており興味深く読んでいます。この像の碑銘は吉田茂が揮毫し前尾繁三郎が碑文を書いています。三人の深い関係が伺えます。像のすぐ後ろに池田勇人遺愛の朝鮮灯籠がありました。夫人から寄贈されたもののようです。この地はかつて歩兵第十一聯隊があった場所で標柱が建っており、碑と説明板がありました。
池田勇人像(制作 森野圓象)

池田勇人遺愛 朝鮮灯籠

歩兵第十一聯隊門柱

歩兵第十一聯隊兵営配置図

2014年11月29日土曜日

広島市中区寺町の水準点

 広島市中区寺町の道を歩いていると教順寺の塀から何か出ています。どうもこの塀の裏に水準点があるようです。何度も通った道なのに気が付きませんでした。早速中に入らせていただくとありました。国道や旧国道、主要街道沿いに約2㎞間隔に埋設されているそうです。全国に約22000点の一つがここにあります。
寺町教順寺の塀の中から何か出ています。

近づいてみると水準点がこの裏にあるらしい。

塀の内側に水準点はありました。

国道や旧国道や主要街道沿いの脇に設置されている(全国約22000点の一つ)

2014年11月28日金曜日

広島市中区寺町報専坊の被爆イチョウ

 11月13日広島市中区寺町を歩いていると、アショカピラーがあちこちに配置されているインド風のお寺があり、イチョウが美しく色づいていました。このイチョウは被爆樹木で樹齢100年以上といわれています。爆心地から1130mの位置にあり、原爆で寺の建物は崩壊しましたが、火災からはこのイチョウが守ったそうです。ちょうどお寺の方がイチョウの写真を撮っておられたので、このようなお寺のデザインにされた訳を聞いてみると、東京の築地本願寺をモデルにしているそうです。
報専坊の被爆イチョウとアショカピラー(11月13日撮影)
報専坊境内のイチョウ(被爆で幹に大きな裂け目ができたが、建物の火災を防いだ)

築地本願寺をモデルとしている

2014年11月27日木曜日

周防大島を訪ねて(5) 周防大島文化交流センター

 今回の周防大島の訪問は周防大島文化交流センターで行われる交流講座「ふるさととは何か」という広島大学河西英通教授の講演を受講することが主な目的でした。講座前に展示室を見ました。この展示室は宮本常一が収集を勧めて集められた民具や長州大工などの資料が分かりやすく展示してありました。今回の周防大島の旅は駆け足でしたが、見学や講座を通して「ふるさと」について改めて考えることができ、有意義な一日でした。
周防大島文化交流センター展示(漁船や漁具)

民具(宮本常一は失われていく民具を積極的に収集することを勧めた)

長州大工の仕事(木組み)の説明のための模型(木の組み方がよく分かる)

2014年11月26日水曜日

周防大島を訪ねて(4) 下田(しただ)八幡宮

 民俗学者の宮本常一の生家の近くで、宮本少年もこの境内で遊んだという下田八幡宮に行ってみました。この八幡宮の鳥居の前までかつては海岸で、境内には宮本も通った西方尋常小学校があったそうです。鳥居をくぐり石段を上ると、その正面に社殿は無く、左に回り込み海に向かって拝む形で立派な社殿が建っていました。この社殿も長州大工の素晴らしい仕事を見ることができました。ここにも姿のいい狛犬がいました。文化○○年という文字が確認できました。江戸時代文化年間(1804~1818年)に奉納されたもののようです。
下田八幡宮鳥居(かつてこの鳥居まで海岸だった)

海を背にして建っている下田八幡宮拝殿(長州大工の技が随所に見られる)

狛犬(阿形)

狛犬吽形(文化年間奉納)
宮本常一撮影 昭和36年当時の下田八幡宮(周防大島文化交流センター掲示写真より)

 もう水仙が咲いていた(1月30日は宮本常一の命日で、そのころこの島では水仙の花の盛りなので「水仙忌」として毎年欠かさず法要が続けられているという。)

2014年11月25日火曜日

周防大島を訪ねて(3) 筏八幡宮

 陸奥記念館・陸奥平和祈念公園から元来た道を引き返していると、海岸沿いに石灯籠や鳥居が見えたので立ち寄ってみました。石の鳥居の横に星野哲郎の歌碑がありました。星野哲郎の作詞したヒット曲「なみだ船」の楽譜と歌詞が刻まれています。星野哲郎が大島出身だということは知っていましたが、どうしてこんなところに歌碑があるのかなと思いました。帰って調べてみると、なんとこの筏八幡宮が星野哲郎の本家だということで納得しました。周防大島町の指定文化財に指定されている石の鳥居をくぐって社殿に向かいました。木組みや彫刻が立派な社殿でした。これも後で周防大島文化交流センターの展示室を見学し優れた技で知られる長州大工の仕事だということが分かりました。やはり狛犬が気になります。小ぶりですが、彫りのしっかりした愛嬌のある顔をした狛犬でした。

筏八幡宮 鳥居は元禄14年(1701年)村上景信が建立(周防大島町指定文化財)

星野哲郎歌碑(なみだ船)筏八幡宮は星野哲郎の本家

筏八幡宮拝殿(長州大工の技が光る)

狛犬(阿形)

狛犬(吽形)

2014年11月24日月曜日

周防大島を訪ねて(2) 陸奥平和祈念公園

 陸奥記念館のすぐ近くの高台に陸奥平和祈念公園があり、そこには海中から引き揚げられた陸奥の艦体の一部が展示してあります。また陸奥の碑、若くして亡くなった予科練甲飛11期生の戦没者慰霊碑がありました。実物や慰霊碑を目の前にし、戦争で亡くなられた多くの方々のご冥福を祈るとともに、改めて今こうして平和な穏やかな日々をおくることができていることに感謝し恒久平和を願わずにはいられない気持ちになりました。
公園内には引き上げられた艦体の一部が展示されている

スクリュー

副砲

艦首

陸奥の碑

若鷲の碑

2014年11月23日日曜日

周防大島を訪ねて(1) 陸奥記念館

 周防大島を訪ねました。まず行ったのは陸奥記念館です。昭和18年、謎の爆発事故により伊保田沖に沈んだ戦艦陸奥の引き上げられた遺品や艦体の一部などが展示されていました。遺品を見ていると陸奥とともに海中に沈み、亡くなった1121名の将兵の無念な気持ちが胸に迫って来ました。外のキャンプ場の横には退役した海上自衛隊対潜哨戒飛行艇PS-1が展示というかただ置いてありました。どうも不具合があった機体のようで余り長くは使われなかったようです。
陸奥記念館



陸奥の碇



記念館内部 (陸奥模型)

退役した海上自衛隊対潜哨戒飛行艇PS-1

昭和52年から昭和62年まで使用された

2014年11月22日土曜日

広島城の朝(4)

 11月22日朝の広島城はよく晴れて、平成元年から5年掛けて復元された表御門、平櫓、多聞櫓、太鼓櫓の白壁が青空に美しく映えていました。
広島城二の丸太鼓櫓

広島城平櫓と御門橋

平櫓と多聞櫓の接合部

御門橋の向こうにたくさんのキンクロハジロが浮かぶ

晩秋の広島城天守

2014年11月21日金曜日

広島胡子大祭

 11月18・19・20日の三日間は広島の胡大祭です。胡神社は1603年に安芸高田市吉田からえびす神を勧請し創始しました。以来400年以上「えびす講」は続けられています。11月20日夜行ってみると広島市中心部のえびす通りは熊手を持った参拝者がお祓いを受けるため長い行列を作っていました。露店では縁起物の大きな熊手が売られていました。
吉田の胡神社

えびす通りは露店や参拝者でにぎわっている

胡神社前には大きな提灯が下げられている

長い列をつくりお祓いを受ける参拝者(神社の前には大きな樽が据えられている)

縁起物の大きな熊手が売られている

2014年11月20日木曜日

庄原市 福田頭登山(4) 赤い色

 福田頭は山野草がたくさん見られる山のようですが、今はすっかり冬の様相で、赤い色はわずかに残った紅葉、ユキザサやミヤマシキミの赤い実がみられました。また太いブナの木の幹が裂けていました。きっと雪の重みで折れたのでしょう。その幹に蔓の赤い葉が絡みついていました。もうすぐ深い雪に埋もれ白一色の世界になることでしょう。
紅葉

ユキザサの赤い実

ミヤマシキミの赤い実

雪の重みでブナが裂けていた そこに巻き付いた蔓の赤い葉