2015年8月31日月曜日

石見銀山街道を歩く(3) 馬頭観音

 再び銀山街道に戻り、境木に向けて歩きだしました。路傍には小さな祠があります。手を合わせて先に進みます。この道でいいのかなと不安になり始めたところで道標がありました。間違いないようです。その先に進もうとするとカントリーエレベーターの大きな建物がありました。米穀の乾燥、調整、貯蔵の役割を果たす施設です。パンフレットの地図にはありません。ここで道に迷ってしまいました。出会った地域の人に馬頭観音がたっている場所まで連れて行っていただいた上、銀山街道の話や昔の地域のことを伺うことができました。この道は当時の面影を残すため敢えて舗装していないようです。雨が降って深く掘れてしまったので、地域の人々が道に土を入れたりして整備されているようです。銀山街道は地域の人々によって守られていることを知りました。また、かつてはこの地で牛の爪切りをしていたそうです。たくさん飼われていた牛も現在は飼っている家はないようです。道に迷ったお蔭で親切な地域の方に会え、お話を伺うことができて良かったです。


銀山街道の路傍に建つ祠

銀山街道道標

カントリーエレベーター(米穀の乾燥、調整、貯蔵の役割を果たす施設)

馬頭観音前の銀山街道は未舗装でかつての面影を残している

道の分岐点に建つ馬頭観音(この前の広場で牛の爪を切ったという)

2015年8月30日日曜日

石見銀山街道を歩く(2)赤名湿地性植物群落

 石見銀山街道を歩いていくと、赤名湿地性植物群落と書いた矢印がありました。これは行かないわけにはいきません。少し寄り道をして行くことにしました。駐車場に着くと、案内板がありました。湿地に着くと東屋があり休憩できるようになっています。ここで水分補給をして、湿地内を歩きました。先日萩往還を歩き、初めて知った毛利氏の裏紋の図柄となっている沢瀉(オモダカ)やサギソウなどいろいろな湿地性植物がありました。ここまで書いたところで、NHK大河ドラマ「花燃ゆ」を観ていたところ藩主毛利敬親の奥方の甲冑の兜に描かれていた紋が沢瀉紋でした。夏の暑さを忘れ気持ち良く写真を撮っているとトノサマガエルが顔を出しました。トノサマガエルは、私が子どもの頃はよく見ましたが最近は余り見かけなくなりました。今回は、銀山街道を歩くのが目的ですから、ゆっくり撮影できなかったので、また季節を変えて行ってみたいと思います。
赤名湿地性植物群落案内板

湿地帯入口の東屋

湿地内ため池(長尾池)

オモダカ

サギソウ

トノサマガエル

2015年8月29日土曜日

石見銀山街道を歩く(1)

 少し前になりますが、8月16日島根県飯南町の石見銀山街道を歩きました。江戸時代、石見銀山で産出された銀は、3泊4日の行程でこの道を通って尾道に運ばれていました。銀が運ばれた公道なので銀山街道と言われています。この赤名峠は標高580mあり、街道130㎞の中で最高所に位置し、最大の難所として銀の荷継の村人を苦しめたと言われています。今回は道の駅赤来高原から国境の境木まで歩きます。歩き始めて、先ずあったのが安政3年(1858年)に建てられた道標です。銀山街道と出雲街道の分岐点に建っています。道標を過ぎ国道54号を渡り、山あいを通る道を歩きます。現在は舗装道となっていますが、これが銀山街道です。しばらく歩くと京楽院の前にきました。これは戦国時代、毛利氏と尼子氏との戦いで苦しむこの地の人々を救済するために尽くした京楽院徳有という僧の墓を本尊とした御堂です。また少し進むと長者原古墳という方墳がありました。七世紀に造られたと考えられています。この道筋は古くから開けていた地域だったことが分かります。
道の駅赤来高原にある銀山街道案内図

安政3年(1858年)に建てられた道標(銀山街道と出雲街道の分岐点に建っている)

現在は舗装されている銀山街道

 街道脇にある京楽院(戦国時代毛利氏と尼子氏の戦いで苦しんだこの地域の人々のために尽くした高野山の僧京楽院徳有を本尊とした御堂)

長者原古墳(方墳7世紀造られたものと考えられている)

2015年8月28日金曜日

広島駅南口B・Cブロック再開発工事・北口ペデストリアンデッキ工事

 8月28日夕方の広島駅周辺の工事の様子です。南口Bブロックではクレーンで建材が吊り上げられています。Cブロックのビルもどんどん高くなっています。北口に回ると、ペデストリアンデッキの工事が進む駅ビルの前の観光バス駐車場に「Carp優勝パレード予約済」と書かれた真っ赤なJRバスが止まっていました。優勝パレードが見たいものです。希望を捨てずに応援しよう。
広島駅南口Bブロック再開発工事

広島駅南口Bブロック再開発工事(南西側)

広島駅南口Cブロック再開発工事(どんどん高くなっている)

ペデストリアンデッキ工事が進む広島駅北口(Carp優勝パレード予約済JR観光バス)

2015年8月27日木曜日

竹内街道を歩く(7) 竹内街道歴史資料館

 太子町立竹内街道歴史資料館に行きました。資料館では、この道は官道として整備される前から二上山から産出されるサヌカイト・凝灰岩・金剛砂という石材を求めてたくさんの人々により利用されてきたことや、都が京都に移ってからも、太子信仰の道、伊勢参り、西国三十三ヵ所巡礼への宗教の道、経済の道として栄えてきたことなど竹内街道の歴史がよく分かりました。資料館の庭にはサヌカイトや道標などが展示してありました。資料館前の竹内街道はかつての街道の雰囲気をよく残しています。竹内街道は見所がたくさんあり、今回だけではとても見ることができないので、また是非訪ねたい道でした。
太子町立 竹内街道歴史資料館

二上山産のサヌカイト(矢じりなど石器の材料となった)

竹内街道

竹内街道沿いに建つ道標

2015年8月26日水曜日

竹内街道を歩く(6) 當麻寺②

 當麻寺の各お堂や宝物館では當麻曼荼羅や白鳳時代や藤原時代の古い仏像を拝むことができました。池では蓮の花がきれいに咲いていました。白鳳時代に鋳造された日本最古の梵鐘もありました。仁王門は江戸時代の建物のようです。仁王像は何となく愛嬌があります。
奥院門

奥院浄土庭園

當麻寺金堂

日本最古の梵鐘(白鳳時代680年代に鋳造された)国宝

蓮の花

仁王門

仁王像(阿形)

仁王像(吽形)

2015年8月25日火曜日

竹内街道を歩く(5)當麻寺①

 當麻寺に着きました。黒門(北門)から境内に入ります。當麻寺は白鳳末期から天平初期にかけて建立されたといわれている古刹です。本堂は平安時代の建物で本尊として當麻曼荼羅を祀っています。當麻曼荼羅は中将姫が継母による様々な迫害を乗り越え16歳の時、尼として當麻寺に入り、天平宝治字7年(763年)に蓮の糸で織りあげたといわれるものです。境内には白鳳時代に二上山の松香石で作られた日本最古の石灯籠がありました。奥院からは奈良時代末期から平安時代初期にかけて建てられた国宝の東西の塔が見えます。古代の塔が東西とも残っているのは當麻寺だけだそうです。

當麻寺黒門(北門)

當麻寺本堂(国宝 平安時代の建物 本尊として當麻曼荼羅を祀る)

中将姫像(継母による様々な迫害を乗り越え蓮の糸で當麻曼荼羅を織りあげた)

日本最古の石灯籠(白鳳時代・国重要文化財)

奥院から東西二つの塔を望む

2015年8月24日月曜日

竹内街道を歩く(4) 當麻寺への道(2)

 當麻寺への道の周りは田畑が広がっています。田畑の所々に小山があります。近づいてみると古墳でした。首子古墳群といい、この辺りで10基確認されているそうです。古い家が立ち並ぶ地域に茅葺の家がありました。大和棟といわれるこの地方独特の葺き方です。かつては茅葺だった屋根にトタンを被せた家もあります。正月でもないのに玄関に注連縄が掲げられているので不思議に思って、その家の方に尋ねるとこれは當麻天神講と言って、この地域の古い民家に江戸時代から伝わる行事で毎年2軒の頭屋が選ばれ、古い注連縄をはずして新しい注連縄に付け替えるのだそうで、悪神が家の中に入ってこないよう、家族の安全を祈って掲げられるのだそうです。
路傍の石仏と道標

田畑の中の小山は古墳

5号墳(首子古墳群中最大の前方後円墳)

茅葺の屋根の古民家(この地方独特の大和棟)

かつては茅葺であったが、トタンが上にかぶせてある民家

玄関に當麻天神講の注連縄が掲げられている

2015年8月23日日曜日

竹内街道を歩く(3) 當麻寺への道

 8月12日竹内街道の道筋にある二上山の麓にある當麻寺にお参りしました。當麻寺への道には石光寺がありました。門前の百日紅が印象的です。石光寺は飛鳥時代後期の創建とみられる古寺で中将姫伝説ゆかりの寺です。境内に入ると「想観の沙」という方形と円形の砂山がありました。仏の深い教えを表しているようです。この寺は中将姫伝説ゆかりの寺ということです。石光寺を出てしばらく歩くと路傍に庚申塔や自然石に文字を彫り込んだ道標や中将姫墓塔がありました。
當麻寺周辺マップ

石光寺

石光寺境内

路傍の庚申塔と道標

中将姫の墓塔

2015年8月22日土曜日

竹内街道を歩く(2) 羽曳野市古市西琳寺

 古市の蓑の辻の道標から少し北に歩くと西琳寺がありました。山門前には道標がありました。西琳寺は、今は小さい寺ですが、寺伝によれば百済から渡来した王仁の子孫である西文氏(かわちのふみうじ)が、飛鳥時代(7世紀前半)に建てた寺といわれる河内有数の古刹です。境内には巨大な塔心礎が残っていました。寺の前で写真を撮っていると近所の方が冷たく冷やしたタオルを持ってきてくださり、寺の歴史や手水鉢の龍に水を掛けてあげると良いことなどを親切に教えてくださいました。冷たいタオルのお蔭で疲れが一遍に吹き飛びました。
西琳寺山門

山門前の道標

西琳寺本堂(創建は7世紀前半)

手水鉢(龍に水を掛けてあげるのが良いのだそうだ)

境内の巨大な塔心礎