2024年10月31日木曜日

10月下旬の荒谷林道(3)

 家の玄関を出ると頭の上で野鳥の鳴き声がします。見上げると電線に野鳥が止まっています。どうもジョウビタキのメスのようです。今年も北の国から無事やって来てくれました。 荒谷林道ではマムシグサの実やフユイチゴの実が赤く実っています。白いキノコも生えています。コガネキヌカラカサタケでしょうか?
                 ジョウビタキ♀
 
                 マムシグサの実
                フユイチゴの実
                コガネキヌカラカサタケ?
     

2024年10月30日水曜日

10月下旬の荒谷林道(2)

 10月もあと2日というのに、日中は半そででもいいような暖かさです。荒谷林道散歩では白いキノコが生えていました。オオイチョウタケでしょうか?キノコは名前を同定するのは難しいのでよく分かりません。今日はサネカズラ、サルトリイバラ、ミヤマシキミの赤い実が目立ちました。
                オオイチョウタケ?
                  サネカズラ
                サルトリイバラ
                 ミヤマシキミ
 

2024年10月29日火曜日

10月下旬の荒谷林道(1)

 暑かった10月も下旬になると流石に秋らしくなってきました。空にはうろこ雲がひろがり、荒谷林道ではナワシロイチゴ、センブリの花も咲きました。ホウキタケなど色々なキノコも生えてきました。
                                                   秋の空
                ナワシロイチゴ
                  センブリ
                  ホウキタケ
       

2024年10月28日月曜日

東海道53次亀山宿から日永まで歩く(15)出合ったデザインマンホール

 東海道五十三次を歩く楽しみの一つに、その地域独特のデザインマンホールを見ることが出来ることがあります。今回は亀山市、鈴鹿市、四日市市のデザインマンホールを見ることが出来ました。車に気を付けながら素早く写真を撮ります。
        亀山市デザインマンホール(亀山城多聞櫓と市の花しょうぶ)
         鈴鹿市デザインマンホール(農業集落排水用 トンボ)
          四日市市デザインマンホール(市の花 サルビア)

           四日市市デザインマンホール(東海道五十三次)

2024年10月27日日曜日

東海道53次亀山宿から日永まで歩く(14)日永追分

 日永の追分に建つ大鳥居を潜りました。ここは伊勢参宮道と東海道の分岐点です。周囲およそ60mの三角地帯は松・梅・桜・ツツジ・ひば等が植えられており、神宮遥拝鳥居は高さ7m余りあります。伊勢に参拝できない人のために安政3年(1774年)に建てられたのが最初で、以来、伊勢神宮式年遷宮ごとに神宮の古材を使って建替えられています。現在の鳥居は平成28年(2016年)に建替えられたものです。石の道標には「左いせ道・右京大阪道すぐ江戸道・嘉永二年巳酉二月桑名魚町尾張屋分助建立」と刻されています。また今も神水が湧き出ている水屋があります。今回はここから泊まで少し歩いて終了しました。
                  鳥居を潜る
                    道標
                神水が湧き出る水屋
                  日永の追分

2024年10月26日土曜日

東海道53次亀山宿から日永まで歩く(13)

杖衝坂を下りると、そこは四日市市内部です。うつべ町かど博物館という看板が出ている建物がありましたが、今回は通過。しばらく歩くと内部駅に着きました。この駅は「四日市あすなろう鉄道」の駅で、ナローゲージ(線路幅が762mという特殊狭軌線)で日本では3事業者のみだそうです。丁度列車が止まっていたので見学させていただきました。車両内は狭いです。
                 うつべ町かど博物館
 
                   内部駅
                  列車  

                   狭い列車内部
                列車入口(ワンマンカー)

         

2024年10月25日金曜日

東海道53次亀山宿から日永まで歩く(12)

 坂の峠付近に血塚社があります。これは日本武尊が足から流れ出た血を封じた場所と言われ小さな祠と石碑が建っています。そこから急な坂を下ります。これは杖衝坂といわれ、日本武尊が伊吹山の賊を討ち病にたおれ、剣の杖にすがりながら、この坂を越えたという伝説があるため付けられた名前です。坂の途中に杖衝坂の石碑と「歩行ならば杖つき坂を落馬かな」という芭蕉の句碑があります。芭蕉は、江戸から伊賀へ帰る途中、馬でここにさしかかったが急な坂のため落馬したことから、この句を作ったということです。この俳句には季語がありません。またこの地には弘法の井戸と大日の井戸があります。


血塚社
杖衝坂を下る
杖衝坂の石碑
杖衝坂の芭蕉の句碑と井戸

                  
 

2024年10月24日木曜日

東海道53次亀山宿から日永まで歩く(11)

  石薬師でも門ごとに回って獅子舞をしていました。石薬師宿の東の端には東海道石薬師宿の石碑が建っていました。日永に向かって歩きます。少し坂道になって来ました。途中四日市の街が見えて来ました。采女の一里塚跡がありました。日本橋から101番目の一里塚です。地名の采女は雄略天皇に仕えていた三重出身の采女が天皇の許しを得てこの地の名前にしたということです。

                 石薬師獅子舞
                石薬師宿東の石碑
     
上り坂
四日市の街が見えてきた
采女の一里塚跡
                  

東海道53次亀山宿から日永まで歩く(10)

 石薬師宿には徳川家康が本能寺の変の後で、明智光秀の追手から逃れ、三河に帰るルートを  分岐点であるこの石薬師南町橋の所で思案したという事から思案橋という名前になったということです。ここで違ったルートを選んで、うまく三河に帰ることが出来なかったら、その後の日本の歴史は変わっていたことでしょう。日本の運命を決めた橋とも言えるでしょう。石薬師は唱歌「夏は来ぬ」の作詞者として有名な歌人・国文学者の佐佐木信綱出生地です。石碑や佐佐木信綱記念館、その隣に生家があり見学しました。そこから少し東に進むと小澤本陣跡がありました。建物は明治に建替えられたものだそうです。
                  思案橋
 
                佐佐木信綱碑
                 佐佐木信綱生家
               佐佐木信綱記念館
                         
                  小澤本陣跡

2024年10月22日火曜日

東海道53次亀山宿から日永まで歩く(9)石薬師寺の狛犬たち

 石薬師寺には4対の狛犬が居ました。本堂前には唐獅子、境内にある歓喜天の鳥居前に古い子連れ狛犬、社殿前に新しい子連れ狛犬が居ました。又本堂屋根にも逆立ちした狛犬が居ました。
                   唐獅子①
                   唐獅子②
 
                    歓喜天
               子連れ狛犬(吽形)
               玉を踏む狛犬(阿形)
          
               新しい狛犬(阿形)
                 新しい子連れ狛犬
                本堂屋根の上の狛犬(阿形
               本堂屋根の上の狛犬(吽形)
  

2024年10月21日月曜日

東海道53次亀山宿から日永まで歩く(8)石薬師寺

 石薬師宿に入ると間も無く石薬師寺の門前に来ました。丁度町内では祭りの巡行が行われており、神輿が石薬師寺の中に入り、ワッショイ ワッショイと掛け声をかけて持ち上げていました。この地域でも担ぎ手がいなくて神輿の移動は台車を使っていました。石薬師寺に入りガイドさんの説明を聞きました。石薬師寺は真言宗の古刹で嵯峨天皇の勅願所であり、元は大伽藍であったといわれており、地名の由来となっています。歌川広重の版画にも描かれています。境内にはそのことを歌った佐佐木信綱の詩碑が建っていました。
              石薬師寺でも神輿の巡行
 
石薬師寺に参拝
歌川広重の版画に描かれた石薬師
佐佐木信綱の詩碑