2014年4月30日水曜日

福岡市を訪ねて(7) 崇福寺

 黒田家の菩提寺の崇福寺に行きました。NHK大河ドラマで話題の黒田官兵衛や息子の長政の墓に是非参りたかったのです。崇福寺の山門は旧福岡城の表御門で県指定文化財です。山門を潜り寺の裏手に行くと黒田家の墓地があり、一族の墓が並んでいました。その中の中央部に官兵衛や長政の墓がありました。早速お参りし、写真を撮らせてもらいました。
崇福寺山門(旧福岡城の表御門を大正9年(1920年)崇福寺山門として移築されたもの。)

黒田家の墓所
黒田官兵衛(如水)の墓

黒田長政の墓


2014年4月29日火曜日

福岡市を訪ねて(7) 筥崎宮狛犬

 筥崎宮狛犬で特筆すべきものに狛犬があります。一の鳥居の前にある大きな狛犬は首の下の巻き毛が立派で体に対して顔が小さい精悍な顔つきで首を曲げて、海の方を見ています。海からやってくるものに対して目を光らせているようです。京都府宮津市の籠(この)神社の桃山時代に造られたとされる狛犬をモデルとしているようです。「京都狛犬巡り(小寺慶昭著)参照」 また本殿後ろ左側に東末社があり、そこに子持ち狛犬(唐獅子)がありました。この唐獅子は雌雄がよく分かります。



筥崎宮狛犬(吽形)

筥崎宮狛犬(阿形)

筥崎宮子持ち唐獅子

筥崎宮唐獅子(雄)

2014年4月28日月曜日

広島駅南口B・Cブロック再開発工事NOW(6)

 福岡市の探訪記はまだ続きますが、一休みして今日は4月25日の広島駅南口再開発情報です。しばらく見ないうちに、Bブロックはビルの鉄骨がどんどん組み上げられ、10階以上になっていました。Cブロックは看板は無くなり、もう新しいビルを建てる工事が始まっていました。
広島駅南口Bブロック再開発工事(H26、4、25撮影)

広島駅南口Bブロック再開発工事(鉄骨が10階以上積み上げられている。)

広島駅南口Cブロック再開発工事(「恋を始めよう」の看板は無くなり建物はほとんど撤去され、新しくビルが建てられる工事が始まっている。)

2014年4月27日日曜日

福岡市を訪ねて(6) 筥崎宮

 筥崎宮に行ってみました。筥崎宮は筥崎八幡宮とも称し、宇佐、石清水両宮とともに日本三大八幡宮に数えられるということで、思った以上に大きな神社でした。
 応神天皇を主祭神として、神功皇后、玉依姫命がお祀りされています。創建の時期についてははっきりしませんが、一説によると平安時代の中頃の延喜21年(921年)、醍醐天皇が神勅により「敵国降伏」の宸筆を下賜され、この地に壮麗な御社殿を建立し、延長元年(923年)筑前大分宮(穂波宮)より遷座したといわれている大変由緒ある古社です。早速黒田長政寄進の大鳥居に迎えられ、広島とも深い関わりのある小早川隆景の造営した立派な楼門には亀山上皇の御宸筆(レプリカ)が掲げられているのを見ることができました。元寇により焼けてしまったこともある神社で、蒙古軍船の碇石も境内にありました。参道は真っ直ぐ博多港まで続いており、この地がまさに日本の海外との交流の門戸だったことが実感できました。


筥崎宮一ノ鳥居(黒田長政寄進)国指定重要文化財

筥崎宮楼門(国指定重要文化財)小早川隆景により造営された。

亀山上皇の御宸筆の扁額(小早川隆景が楼門を造営した時、謹写拡大したもの「現在のは平成の大修理で新しく掲げられたレプリカ。」)

境内には蒙古軍船の碇石が置かれていた。(博多港中央波止場付近の海中から引き揚げられたもの。)

筥崎神社の参道は、はるか海からずーと真っ直ぐに続いている。海外との交流の門戸となった神社であることが伺える。

2014年4月26日土曜日

福岡市を訪ねて(5) 福岡城跡(2)

 福岡城は黒田長政が1601年から7年かけて築いた城です。行ってみると広大な敷地に建物が建っていた郭や石垣が残されていました。建物は祈念櫓と多聞櫓が当時の面影を伝えていました。祈念櫓は、本丸の東北隅に鬼門封じの祈念をするために建立されたもので、棟札によると万延元年(1860)3月に起工し、同年10月に竣工したものだそうです。 大正7年(1918年)崇福寺に払い下げられ、同寺の末寺の観音堂として使われていましたが、昭和58年に元の位置に移築されたようです。 多聞櫓は防禦のための長塀で昭和47年から昭和50年にかけて解体修理されたそうです。高い石垣の上に建つ多聞櫓は白壁が美しく、江戸時代の壮大な福岡城の様子がイメージできました。
福岡城祈念櫓(万延元年1860年)城の鬼門封じの祈念ために建てられた櫓)県有形文化財

福岡城祈念櫓(一時崇福寺の末寺に移されていたが、昭和58年に元のこの地に移築された。)

福岡城多聞櫓(多聞櫓は防禦のための長塀であり、平素は倉庫等に利用していたものといわれている。)

高い石垣の上に建つ多聞櫓 かつての壮大な福岡城の様子が目に浮かぶ(国重要文化財)

2014年4月25日金曜日

福岡市を訪ねて(4) 福岡城跡

 福岡城に行ってみました。城跡に近づくと、石垣の修復をしているようでした。高台から工事の様子を見ることができるようになっていました。石垣の内部の様子など仕組みがよく分かりました。
福岡城跡では上之橋御門石垣の保存修復工事をしていた。

工事現場の工事説明板

工事の様子が見られるようになっていた。石垣の組み方がよく分かる。

現在の工事は機械を使って行われる。

組み上げられる石にはすべて印が付けられ、元通りに修復される。

2014年4月24日木曜日

福岡市を訪ねて(3) 壱岐神社

 元寇防塁から海岸沿いの散歩道を西に歩いて行くと、海岸に鳥居が建っていました。その鳥居から松林の中をまっすぐな道が通っています。その道をたどっていくと壱岐神社でした。壱岐神社には「日本書記」によると留守のあいだに反乱の罪を着せられた武内宿禰(たけうちすくね)の身替りとなって無実の罪に服して死んだ壱岐直真根子(いきのあたいまねこ)が祭神として祀られています。「生の松原」の地名は、神功皇后が松の枝を逆にさして戦勝を祈ったところ、その枝が根づき、生き返ったという逆松にちなんで名付けられたと言われています。境内には水穴がハートの形をした手水鉢がありました。
海辺に建っている壱岐神社の鳥居

海岸から神社に向かって松林の中を真っすぐに通っている参道

壱岐神社(日本書紀に出てくる壱岐直真根子を祀っている。)

境内に水穴がハートの形の手水鉢があった。

2014年4月23日水曜日

福岡市を訪ねて(2) 元寇防塁

 福岡市西区にある生の松原元寇防塁に行ってみました。JR下山門駅を降りて、気持ちの良い松林の中の道を歩いていくと、犬の散歩をしている人に出会いました。散歩には最高の道です。しばらく歩いていくと「史跡元寇防塁」と書かれた石碑が建っており海岸に石塁が築かれていました。有名な竹崎季長の「蒙古襲来絵詞」に描かれている場所です。この防塁は1274年の文永の役の後元寇に備えて1276年に全長20㎞にわたって急遽半年で築かれたものの一部です。1281年の弘安の役ではこの防塁によって元軍の博多への上陸を防ぐことができました。現地に立つと、当時の兵士の緊張感が伝わってくるようでした。
生の松原の中の道を歩く。とても気持ちがいい。犬の散歩をする人に会った。

元寇防塁の石碑

元寇防塁(幅1~1、5m 高さ1、8m)

 防塁の裏面から海を見る。迫りくる元の軍船をこの地から見た兵士たちの緊張感が伝わってくるようだ。(兵士たちは元軍をこの位置で防いだ。)

現地にあった説明版の図

2014年4月22日火曜日

福岡市を訪ねて(1)ヘンリー・ムーアとドラえもん

 福岡市の散歩をしました。最初に出逢ったのは博多駅前広場にあったヘンリー・ムーアの「着衣の横たわる母と子」という彫刻です。市制100周年を記念して市民の募金によって設置されたようです。その周りをドラえもんが囲んでいます。生誕80周年記念藤子・F・不二雄展が開催中でその宣伝のようです。日が暮れると周りの木々のイルミネーションに灯が灯りきれいでした。
博多駅前広場にあるヘンリー・ムーアの「着衣の横たわる母と子」の像

彫刻の周りには何故かドラえもんが並んでいた。(藤子・F・不二雄展開催中)

日が暮れると周りの木々にイルミネーションの灯が灯されて美しい。

2014年4月21日月曜日

湯布院を訪ねて

 湯布院に行きました。あいにくの雨で由布岳は雲がかかって見えませんでしたが、雨に濡れる新緑が美しく、丁度「ゆふいん温泉祭り」が行われており。子ども神楽を見ることができました。
金鱗湖(水面から湯気が上がっている。)

雁が水足を浸けてまったりしている。

 丁度「ゆふいん温泉祭り」で子ども神楽が演じられており盛大は拍手を送られていた。広島や島根で演じられている石見神楽とはかなり違っていた。演目は何だろうか。)

踊りや仮装行列もありにぎやかだった。

2014年4月18日金曜日

太田川を遡って(3) 堀八幡神社

 戸河内インターから国道191号を加計方面に向かう道を走っていると、美しく桜が咲いている神社が見えたので立ち寄ってみました。すると由緒ある神社らしく大きく立派な社殿です。この神社は平安時代に宇佐八幡宮から勧請され、室町時代に栗栖氏が経営したと言われている古社です。また大きな自然石でできた大灯籠がありました。説明版には安政4年(1857年)に大山津波に襲われたにも関わらず被害が少なかったことを感謝して氏子の力で3年かけて建てられたようです。 高さ5、5m、笠の大きさは13、2㎡(8畳)もあり自然石では日本一の大きさだということです。
 
掘八幡神社社殿(正徳5年1715年)再建 安芸太田町重要文化財

掘八幡神社拝殿(大きな注連縄、蟇股・虹梁などの彫り物が素晴らしい)

日本一の大灯籠(安芸太田町重要文化財)

桜が美しく咲いていた。

2014年4月17日木曜日

太田川を遡って(2) 下筒賀の社倉

 安芸太田町の加計から戸河内に向けて国道186号を走っていると、右手の小高い所に白い壁で塗り込めた茅葺の建物が見えました。車を止めて近づいてみると、下筒賀の社倉という説明版が立っていました。説明版によると、「安永8年(1779年)広島藩は飢饉に備え、町村ごとに社倉法の実施を督励した。この社倉も当時設けられたもので建坪4坪ほどの小規模なものであるが、位置・構造ともに当初の状態をそのまま伝えている。」ということで広島県史跡に指定されています。  この社倉には麦が蓄えられ実際に天保8年(1837年)の飢饉に際しては、この社倉の救用穀すべてが放出され効果をあげたようです。この場所は何度も通ったことがあるのですが、今まで気が付きませんでした。
国道186号を走っていると白い茅葺の建物が見える。

近づいてみると下筒賀の社倉だった。この社倉が人々の命を救った。(広島県史跡)

菜の花に囲まれて美しい。

背後には桜の花が咲いていた。

2014年4月16日水曜日

 太田川を遡って(1) 蒲公英 

 4月14日月曜日久しぶりに良い天気になったので、太田川を遡って春の写真を撮ってきました。ソメイヨシノは安芸太田町方面でも散っていましたが、様々な春の花々が咲き誇っていました。私の好きなタンポポもあちこちに咲いていました。黄色いセイヨウタンポポが多い中で、シロバナタンポポも見つけ嬉しくなりました。今年の春から新しく学校に入学したり、新しい仕事に就いた人も多いと思いますが、タンポポのように置かれたところで深く根をおろし、自分の花を咲かしてほしいものです。
旧JR可部線安野駅近くセイヨウタンポポの群生(どんな場所にも深く根をおろし花を咲かせる。)

セイヨウタンポポは外来種で繁殖力が強い

セイヨウタンポポ総苞片が反り返っているのが特徴

筒賀の畑の脇に咲いていたシロバナタンポポ

子どもの頃普通に見ていたシロバナタンポポを最近はあまり見ない。