2013年12月31日火曜日

碇神社

 白島九軒町に碇神社があります。奈良時代初期の創建で広島市街地最古の神社といわれています。その昔、この地は海で、大きな岩盤があったため、しばしば舟が難破したため、地と海を鎮祭する神(大綿津見の神)を祭神として社を建てたのが始まりで、箱島明神といわれてたようです。この社付近で船がいかりをおろしたため、碇神社となったようです。この神社境内には被爆樹(爆心地より1800m)の桜の木や碇石跡、由緒はよく分かりませんが丹波稲荷神社の破損した狐を見ることができました。
碇神社(創建奈良時代初期 広島市街地最古の神社)

被爆樹木の桜

伝承碇石跡(かつて、この地は海であり船が碇をおろした。)

丹波稲荷神社の狐(被爆によって破損したのでしょうか)

2013年12月30日月曜日

雪景色

12月29日、広島市北部は雪が降ったり止んだりの寒い日でした。田も畑もすっかり雪に覆われましたが、雪の間から花を咲かせている野草がありました。春に咲くホトケノザでしょうか。
太陽が出ているのに冷たい雪が降る。

取り残された柿にも雪が積もっている。

つらら


雪の間から花を咲かせている野草がある。ホトケノザでしょうか。

2013年12月29日日曜日

八剣神社

 広島市中区白島九軒町の京橋川の土手に八剣(やつるぎ)が鎮座しています。神社の傍に立つ説明板によれば、この神社が福島正則が広島に残した唯一の史跡だそうです。この神社は広島を福島正則が治めていた時、洪水に悩まされ容易に堰き止めることができなかったため、人柱をたてようという話が持ち上がった。それを聞いた福島正則が不憫に思い人柱の代わりに秘蔵の八振の名剣を箱に納め、地中深く埋めたところ、洪水を堰き止めることができた。その八振の剣の霊を祀って祠が建てられたのが元和三(1617)年だそうです。福島正則は勇猛というイメージですがこのような優しい一面もあったのですね。福島正則は洪水で壊れた広島城の石垣を幕府に無断で修理したことを咎められて改易になりました。広島の街は三角州につくられた街だけに正則以後も太田川放水路ができるまでは、洪水との戦いの歴史でした。
京橋川の土手に建つ八剣神社

2013年12月28日土曜日

広島の橋(8)工兵橋

 旧太田川と京橋川の分岐点をやや下ったところに架けられている吊り橋が工兵橋です。旧市内唯一の吊り橋で風情があり、地元の人々に親しまれています。のんびりと橋の上から釣り糸を垂れている人がいました。この橋は1889年陸軍工兵隊が牛田にあった演習場への連絡橋として架けたものです。その後1921年、1933年に架け替えられ、1945年の原爆投下時にも落ちなかったため、牛田方面にたくさん渡って避難しました。現在の橋は1954年に架け替えられたものを補修しながら利用しています。人道橋なのでのんびりと渡っている人や釣りを楽しんでいる人がいました。軍事目的で架けられた橋が、現在は地域の人々の憩いの橋になっています。
旧太田川と京橋川の分岐点よりやや下流に架かる工兵橋(旧市内唯一の吊り橋)

最初は1889年陸軍工兵隊により架けられた人道橋


現在の橋は1954年に架け替えられたもの。

2013年12月27日金曜日

広島駅南口Cブロック再開発工事NOW(1)

 広島駅南口Cブロックも再開発工事が始まっていました。フェンスが張られ、中ではビルの解体工事が行われていました。

ビルの解体工事が始まった、広島駅南口Cブロック(12月25日撮影)

Cブロックはフェンスで囲まれている。

一部まだ営業している店がある。

愛友市場のこの看板も見納め。

2013年12月26日木曜日

広島駅南口Bブロック再開発工事NOW(11)

 12月25日 広島駅南口Bブロックの再開発工事の様子を見てみると、ビルの鉄骨が組み立てられ始めていました。
広島駅南口Bブロック再開発鉄骨が組み立てられ始めている。

高いクレーンが活躍している。

2013年12月25日水曜日

鶴岡八幡宮の狛犬

 鶴岡八幡宮で出逢った狛犬も印象的でした。先ず二の鳥居前には大きな狛犬がありました。白セメント製らしいです。本殿に向かって歩いていくと石段下にひょうきんな顔の狛犬がありました。私は確認できませんでしたが、寛文8年(1668年)奉納のもののようです。

鶴岡八幡宮二の鳥居前段葛入り口の狛犬(神奈川県一の大きさ、白セメント製、昭和36年小野田セメント奉納) 


本殿前石段下の狛犬阿形(笑っているよう)

吽形(1668年奉納のものか)

2013年12月24日火曜日

鎌倉高徳院 唐獅子

 この度の「東京、鎌倉、下田の旅」はとても興味深いものが多かったので、もう少し印象深かったものを載せます。鎌倉の大仏のある高徳院の門の前に鎮座している大理石の唐獅子です。子持ちです。近寄ってみると、台湾のロータリークラブから1980年に寄贈されたもののようです。今まで見てきた唐獅子のように飾りを着けていませんが、両方阿形です。それぞれ子獅子と玉に前足を乗せています。日本の狛犬と中国の唐獅子がいつどのように影響し合ったかについては、よく分かりませんが、興味深い唐獅子との出逢いでした。ぜひ台湾に行っていろいろな唐獅子を見てみたいと思いました。
高徳院の正面入り口に鎮座している大理石の唐獅子(1980年台湾のロータリークラブからの寄贈)

唐獅子なのでどちらも阿形。しかし飾りは身に着けていない。子獅子の頭に前足を乗せている。

頭にげんこつではなく、撫でているようだ。

こちらは玉に前足を乗せている。口の中には玉がある。

2013年12月23日月曜日

下田八幡神社(2) 仁王像

 下田八幡神社で子持ち狛犬とともに、印象的だったのは門の左右に配置されていた仁王像です。凝灰岩の石造で、江戸時代後期の作のようです。あばら骨が目立ちました。愛嬌のあるお顔で親しみが持てました。
下田八幡神社仁王像(江戸時代後期作 凝灰岩製)あばら骨が印象的

吽形 (どことなく親しみが持てるお顔)

2013年12月22日日曜日

下田八幡神社の子持ち狛犬

 下田八幡神社で微笑ましい子持ち狛犬に逢いました。子狛は何か丸いものにかぶりついています。大福でしょうか。その顔が何ともいえずかわいいので思わず笑ってしまいました。父狛(阿形)はその子狛にやさしく前足をかけています。母狛(吽形)は玉に前足をかけています。家族の楽しい会話が聞こえてきそうです。
                   下田八幡神社の狛犬(阿形) 明治41年奉納
子狛に優しく前足をかけている。子狛が大福のようなものを食べている姿が何ともいえずかわいい。

吽形は玉に前足をかけている。ふくよかな顔、体の横に流れた尾、優しさが伝わってくる。

2013年12月21日土曜日

下田を訪ねて

 下田に行きました。1853年にペリー艦隊(黒船)がやってきたことで日本で最初に港が開かれた場所なので一度訪れてみたかった街です。下田駅では早速黒船の模型が迎えてくれました。早速黒船ゆかりの場所を見て歩きました。吉田松陰や坂本龍馬、勝海舟、唐人お吉など幕末の歴史上の人物の名前が随所に出てきます。ペリーがやってきたときの絵や写真そのままの寺や風景がそこにあり、開国の時の雰囲気をイメージすることができました。
下田港にあるペリー艦隊来航記念碑

下田駅前の黒船と龍馬像

宝福寺(龍馬飛翔の地、唐人お吉の墓がある)

黒船が入港した下田港(ペリーもこの特徴のある下田富士がそびえる風景を見た)

2013年12月20日金曜日

鎌倉を訪ねて(3) 鶴岡八幡宮

 鶴岡八幡宮に行きました。鶴岡八幡宮を1180年にこの地に移したのは源頼朝です。八幡宮はたくさんの参拝者でにぎわっていました。八幡宮からみるとまっすぐに海に向かって若宮大路がのびています。源平池の橋を渡って旗上弁財天に行くと、たくさんの白い鳩が迎えてくれました。鶴岡八幡宮は「鳩宮」とも呼ばれ、鳩は神様の使いといわれているそうです。太鼓橋の背後には、鎌倉市の天然記念物のマキの木もありました。
たくさんの参拝者でにぎわう鶴岡八幡宮(1180年源頼朝がこの地に移した。)

鶴岡八幡宮から海まで真っ直ぐに若宮大路がのびている。

旗上弁財天には白い鳩がたくさんいた。八幡宮では鳩は神様の使いといわれているとか。

太鼓橋背後にある鎌倉市の天然記念物のマキの木

2013年12月19日木曜日

鎌倉を訪ねて(2)  鎌倉の大仏

 長谷寺から歩いて大仏に逢いにいきました。今回で二回目です。門前に立つと、塀の上から大仏がお顔を出して「久しぶり」と迎えてくださいました。近づくとやはり大きい。真っ青な空を背景に、見下ろされる姿に何か大きな力を感じました。後ろにまわると、窓があり、開かれていました。大仏の内部はどうなっているのだろうと、思って横に行くと、内部への入り口がありました。早速大仏の胎内に入ると、何か複雑な気持ちになりました。開けられた窓から差し込む光で継ぎ目も補修の跡もよく見え、造られた工程がよく分かります。いい経験をしました。
門前に立つと塀の上から大仏がお顔を出して迎えてくださった。

近寄るとさすがに大きい。大きな力を感じる。

後ろにまわると、背中に窓があり開けてある。

 大仏の胎内に初めて入ることができた。何だか複雑な気持ちになった。内部を見ると、造られた工程がよくわかる。茶色の部分は樹脂で補強してあるところ。

2013年12月18日水曜日

鎌倉を訪ねて(1)江ノ電・長谷寺

 鎌倉にいきました。まず一度はぜひ乗ってみたいと思っていた江ノ電に乗って長谷寺にいきました。十一面観世音菩薩や丈六の阿弥陀像を拝観したり、弁天窟に入って弁財天や十六童子を拝観したりしました。見晴台からの眺めが素晴らしく、和み地蔵の優しい表情が印象的でした。
江ノ電

長谷寺見晴台からの眺め

和み地蔵(とても優しい表情が印象的)

2013年12月17日火曜日

東京を訪ねて(2) 日本橋

 日本橋に行ってみました。日本橋は1603年に初めて架けられ、翌年五街道の起点と定められました。現在の橋は明治44年(1911年)に架けられたルネッサンス様式の石造二連アーチ橋です。親柱や欄干のブロンズ像は素晴らしいものでした。国の重要文化財に指定されています。親柱の銘板の文字は最後の将軍徳川慶喜の揮毫。また日本橋の北詰の西側には日本国元標のレプリカや東京市元標が設置されていました。東京市元標は元は日本橋の中央に設置されていましたが、この地に移され、元あった場所には日本国元標が埋め込まれています。この日本国元標の文字は佐藤栄作元総理大臣の揮毫。この日本橋の中央が日本の国道の起点だと思うと感慨深いものがありました。
日本橋(親柱には守護を表す獅子がいる。すべての道行く人々を守ってほしいものだ。橋名の字は徳川慶喜)

日本橋の中央には(繁栄を表す麒麟のブロンズ像がある)

 日本橋の上には首都高速道路が走っている。(東京市道路元標を模した「道路元標地点」と書いた表示柱が設置されている。)

 日本橋北詰西側に設置されている日本国道路元標レプリカ(本物は橋の中央に埋め込まれている。文字は元総理大臣佐藤栄作揮毫)

日本橋中央から移設された東京市道路元標(国の重要文化財)

2013年12月16日月曜日

東京を訪ねて

 久しぶりに東京を訪ねました。まず、六本木ヒルズに行ってみました。近くに行くとやはりテレビで見るのとは違い迫力があります。展望台からは360°見渡すことができ、新しくできた東京スカイツリーと東京タワーの両方を対比して見ることができる場所にはたくさんの観光客が座って眺めを楽しんでいました。次に浅草寺に行きました。五時過ぎには日が暮れて、雷門も浅草寺本堂、五重塔もライトアップされており、建物の朱色が月空に映えてとてもきれいでした。浅草寺からすぐ近くに見えたので東京スカイツリーに歩いて行きました。下まで行くと東京スカイツリーは思った以上に高くて大きいので、見上げていると首が痛くなりました。年末のこの時期は周りの木々もライトアップされていて、とても華やかな雰囲気でした。
六本木ヒルズ(下から見上げるとやはり高い)

 展望台からの眺め(東京の街が360°見渡せる。東京タワーと東京スカイツリーが並んで見える場所にはたくさんの観光客が座って眺望を楽しんでいる。)

浅草寺(夜はライトアップされている。)

 東京スカイツリーも夜はライトアップされている。時々色が変わる。この時期は周りの木々もイルミネーションで彩られていてとても華やかで美しい。)