2025年4月1日火曜日

広島駅ビル 市内電車発着場

 広島駅ビルのミナモアが3月24日にオープンしたので行ってみました、市内電車が新駅ビルの2階に乗り入れる工事の様子を見ることが出来ました。ミナモアの売り場は賑わっていました。
                  西から
               工事が進む市内電車の架設
                 ミナモア前の通路から
            工事が進む広駅駅の2階市内電車発着場
 

3月31日の縮景園

 縮景園ではソメイヨシノやシダレザクラ、源平桃、ミモザ等の花が一斉に咲き誇って見頃を迎えていました。亀は島を埋め尽くして甲羅干しをしていました。春爛漫です。
                   花盛り
                  灯籠から
                    ミモザ

                                  
                 島では亀が甲羅干し

2025年3月30日日曜日

三原市佐木島を歩く

 団地の山登りの会のメンバーで三原市の佐木島のウォークをしました。団地の桜より少し早く花が咲いていました。特に塔の峰の桜は見事に咲いていました。向田港の近くの海に満潮になると半分上半身が海に沈む地蔵がありました。案内板によるとこの摩崖仏は正安2年(1300)仏師念心によって彫られようです。
さぎしまがいどまっぷ
菜の花とソメイヨシノ          
塔の峰からの眺め
               
 
               摩崖仏地蔵菩薩

2025年3月29日土曜日

東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(19)金谷坂

 金谷坂の石畳を下ります。この石畳は江戸時代に幕府の命により助郷により旅人が歩きやすいよう山石を敷き並べたものといわれています。近年は30m程しか残されずコンクリート等で舗装されていましたが、平成3年、町民約600人の協力を得て延長430mが復元されたようです。滑らないよう気を付けて下ります。途中「すべらず地蔵」という六角の小堂があります。受験生等の信仰を集めているようです。旅人が旅の安全を祈ったという庚申塔三猿を拝み、麓に着き金谷大橋跡の橋を渡りました。そこは金谷宿の西の入口です。今回の東海道五十三次ウォークはここまで。来月はここからスタートします。
                 金谷坂入口
 
            
急な石畳を滑らないよう気を付けて下る
             石畳六角堂地蔵尊(すべらず地蔵)
       
                  
庚申塔三猿
             金谷大橋(西入口大橋)跡
      

2025年3月28日金曜日

東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(18)諏訪原城跡

 菊川坂の峠付近にある諏訪原城跡を見学しました。諏訪原城は天正元年(1573)に武田勝頼が臣下馬場美濃守氏勝に作らせた山城です。自然を巧みに利用した堀切や、復元された二の曲輪北馬出の門などを見ることができました。又ビジターセンターでは諏訪原城の当時の様子を証言した模型も見ることが出来、当時の様子をイメージすることができました。
                 諏訪原城跡碑
 
                   
堀切
             二の曲輪北馬出の門(復元)
          
                諏訪原城模型
   

2025年3月27日木曜日

東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(17)菊川坂

 昼食後、いよいよ菊川坂を登ります。急な石畳を転ばないよう気を付けて上ります。菊川坂は平成12年の発掘調査により、西側上り口から161mは、江戸時代後期の石畳と確認され、平成13ねんに「石畳菊坂助郷伝説」として市民の手により、611mが復元されたようです。石畳復元に助力似た人々の名前が道脇に掲示されていました。やっと峠近くになると茶畑が広がっていました。
                 菊川坂登り口
 
               急な石畳の道を登る
               石畳の復元に助力した人々
   
              峠付近は茶畑が広がっている

2025年3月26日水曜日

東海道五十三次見付宿から金谷宿まで歩く(16)間の宿菊川

 小夜の中山の峠付近に久延寺があります。この寺は真言宗の寺で、本尊は子育て観音と称され「むかし住職が、山賊に殺された妊婦の子を育て、成長した子は親の敵を討つことができた。これはひとえに本尊の加護によるものであるということで、子育て観音と言われるようになった」といういわれがあるようです。この寺には夜泣き石や山内一豊が上杉景勝討伐に向かう徳川家康をもてなしたという茶亭跡があります。そこから坂を下ると間の宿菊川二着き、地元の観光ボランティアの方の説明を聞きました。承久の変で敗れ鎌倉に送られる途中の藤原宗行の詩碑や100年後の正中の変で敗れ鎌倉に送られる途中菊川で宗行をしのんで詠んだ日野俊基の歌碑が建っています。大きな案内板もあります。
久延寺
夜泣き石
        
              間の宿菊川案内板と歌碑
               間の宿菊川の案内板