2015年8月21日金曜日

竹内街道を歩く(1)

 8月11日夕方、大台ケ原から大阪に戻ってきました。せっかく大阪に来たので、もう一泊して竹内街道を少し歩いてみることにしました。7世紀初めに作られた竹内街道は難波から飛鳥に至る、日本最古の官道です。近鉄古市駅で電車を降り、駅前の掲示板を見ると、本当にこの周辺は応神天皇陵を始めたくさんの古墳があります。今回は時間がないので、古墳には行かず、街道に沿って歩いてみました。まず駅近くの白鳥神社に参拝。この神社は寛永年間1624~43年に古市村の産土神として移築されたものだそうです。この神社にもかわいい狛犬がいました。竹内街道を少し東に歩くと嘉永元年(1848年)に建てられた道標がありました。ここ古市は近世になってからも伊勢参りの旅人や、堺から大和に物資を運ぶ商人たちが行きかう沿道の町として栄えたそうです。
羽曳野市古市を通る竹内街道(古市駅前の掲示板より)

古市駅近くの白鳥神社(寛永年間1624~43年に古市村の産土神として移築)

狛犬(阿形)

狛犬(吽形)

近鉄古市駅前を通る竹内街道

嘉永元年(1848年)に建てられた蓑の辻道標

2015年8月20日木曜日

大台ケ原(4) 森の木の下で生きる

 森の木の下に目を向けると、木の根の間から顔を出したキノコ、トリカブトの群生、いろいろな種類の苔や地衣類、トンボやコガネムシなどたくさんの動植物が生きています。苔むした木の切り株から新しい命は芽を出していました。
根の間からきのこ

トリカブトの群生

苔の中からキノコ

地衣類も育っている

苔むした木の切り株から新しい命が芽生えている

とんぼがたくさんいた
大台ケ原この一枚

2015年8月19日水曜日

大台ケ原(3) 正木ヶ原

 正木ヶ原はイトザサと倒れたり立ち枯れしたりしたトウヒの平原となっています。まるで樹木の墓場のように見えました。これは、昭和30年代に伊勢湾台風などで倒れた木を搬出したことがきっかけとなり、ミヤコザサが林床をおおうようになり、それを食べる鹿が増え、樹木の皮がはがされるようになったことが草原化につながったようです。現在森を保護し復元する取り組みが進められています。草原化していない場所ではうっそうと茂った木の葉の木漏れ日が美しく、夏の暑さを忘れ気持ちの良い山歩きとなりました。
正木ヶ原(イトザサの平原と倒れたり立ち枯れしたりしたトウヒ)

 昭和30年代伊勢湾台風などで倒れた木を搬出したことがきっかけとなり、ミヤコザサが林床をおおうようになり、それを食べる鹿が増えたことが草原化につながった。

木漏れ日が美しい

空を覆う木の葉

2015年8月18日火曜日

大台ケ原(2) 夜明け

 朝3時45分大台ケ原の日の出を写しに、山小屋を出ました。真っ暗な山道を歩いて展望デッキに行くと、まだ月が残っていました。段々空が赤らんできて太陽が顔を出しました。空が真っ赤に染まりました。しばらくすると、太陽が雲に反射して二つに見えました。
大台ケ原の夜明け①(月が残っている)

大台ケ原の夜明け②(日の出)

大台ケ原の夜明け③(空が真っ赤に染まった)

大台ケ原の夜明け④(太陽が2つに見える)

2015年8月17日月曜日

大台ケ原(1)

 8月10日~11日大台ケ原に写真撮影に行きました。原始の風景を醸し出す夏の大台ケ原を撮影するという企画です。雨が多いところとして有名なので、雨具をしっかり用意して行ったのですが、幸い2日とも雨は降らず、晴れたり曇ったり、丁度待っているところに霧が出たりと絶好の撮影日和に恵まれました。


牛石ヶ原の倒木(怪獣が大きな口を開けているようだ)

霧が出てきて幻想的な雰囲気に包まれる

大蛇嵓(だいじゃぐら)切り立った岩の上で霧が晴れるのを待つ。柵はあるが足がすくむ

風が吹きサーッと霧が晴れ、深い谷が見える

切り立った高い崖

2015年8月16日日曜日

大阪を訪ねて(4) 四天王寺②

 四天王寺にはたくさんの見所がありましたが、中でも心に残ったのが、うら盆会でたくさんの提灯が吊り下げられている金堂、太子殿猫の門の上欄の猫の彫り物、石舞台です。石舞台では厳島神社でも演じられている舞楽が演じられています。亀の池にたくさんの亀がいました。こんなにたくさんの亀は見たことがありません。
うら盆会でたくさんの提灯が吊り下げられている金堂

太子殿猫の門

門の上欄に猫の彫刻

石舞台(盆踊りの準備がされている)

亀の池にはたくさんの亀

2015年8月15日土曜日

大阪を訪ねて(3) 四天王寺①

 大阪天満宮を後にして、地下鉄で四天王寺に向かいました。四天王寺は聖徳太子建立七大寺の一つとされ日本書紀によれば推古天皇元年(593年)に造立が開始されたとされる古刹で厳島神社とも関わりの深いお寺です。四天王寺に着いて、先ずその規模の大きさに圧倒されました。暑いので余り見学の時間を長くとることは考えていなかったのですが、一回りして写真を撮るだけでも優に一時間以上かかりました。創建以来建物の多くは何度も戦火等で焼失・再建を繰り返してきましたが、1950年の大阪大空襲で中心伽藍は焼失し、1957年から1963年にかけて再建されたものです。
四天王寺南大門

仁王門(中門)

仁王像(阿形)

仁王像(吽形)

五重塔・金堂・講堂が一直線に配置されている(1957年から再建にかかり1963年完成)