2016年8月18日木曜日

庄原市を訪ねて(4) 上野池付近①

 庄原の街を歩いてみることにしました。市役所前の観光案内図を見るといろいろ名所はあるようですが、あまりにも暑いので、欲張らず今回は上野池周辺に絞って歩くことにしました。市役所前のモニュメントに「四つのテスト 言行はこれに照らしてから Ⅰ真実かどうか Ⅱみんなに公平か Ⅲ好意と友情を深めるか Ⅳみんなのためになるかどうか」と書かれていました。肝に銘じて実行したいものです。歩きだすと早速六地蔵が路傍に立っていました。家並みの中をしばらく歩くと火村霊神碑がありました。自分を侮辱したと勘違いした福島正則に火あぶりの刑にされた家臣の霊を慰めるために祀られたものだという伝説が残っています。この話が真実かどうかわかりませんが毛利輝元に代わって入封してきた福島正則ですが、数々の改革を推し進めたにも関わらず、あまり人気が無いのは、正則にこのような短慮の面があったからかもしれません。
 

庄原市案内図
市役所前モニュメント

路傍の六地蔵

火村霊神碑

2016年8月17日水曜日

庄原市を訪ねて(3) 国営備北丘陵公園③

 さとやま屋敷の門のところでヒゴタイが咲いていました。ヒゴタイはこのあたりでは「ぼにばな」といい絶滅危惧種に指定されているそうです。さとやま屋敷の隣には茅葺屋根の家が並んでいます。上の農家と下の農家と言ってお茶が干してあったり、そば打ち体験が行われていたりしました。花の広場はなるほど植え替えの時期でコスモスの苗が植えてありました。秋には一面のコスモスが見られることでしょう。中の広場ではミストシャワーが設置されており、霧を吹きだす木のようでした。
ヒゴタイ(絶滅危惧種)

上の農家と下の農家が建つひばの里

花の広場

ミストシャワー

2016年8月16日火曜日

庄原市を訪ねて(2) 国営備北丘陵公園② さとやま屋敷

 さとやま屋敷では「おもてなし」として、お茶とおつけものを無料でいただきました。外はとても暑いのですが、内部はすずしくゆっくり過ごせます。蚊帳が吊ってあり、中に入って雰囲気を体験することができるなど昭和までのこの地方の農家の暮らしが体験できます。折り紙や木の作品も展示してありました。
さとやま屋敷内部(お茶とおつけもののおもてなしがある)

蚊帳も吊ってあり体験できる

折り紙作品展示

木を使って作った作品展示

2016年8月15日月曜日

庄原市を訪ねて(1) 国営備北丘陵公園①

 8月11日、庄原市を訪ねました。先ず訪ねたのは国営備北丘陵公園です。入園口で係の方が私を見て、「今は花の植え替え時期で咲いていませんよ。」と声を掛けてくださいました。花の写真を撮りにきたのに咲いてなくてがっかりされてはという配慮でしょう。見渡す限りの花はなくても年中楽しめるように工夫されている公園ですから、何か見所はあるだろうと入園することにしました。入園するとレールの無い所に機関車が走っていました。ひばの里に行ってみました。さとやま屋敷は地域の庄屋屋敷を模して建てられた建物だそうです。
国営備北丘陵公園入口


レールがない所を機関車が走っている!?

ひばの里 さとやま屋敷(この地方の庄屋屋敷を参考に建てられた)

さとやま屋敷庭

2016年8月14日日曜日

三次市を訪ねて(6) 鳳源寺②

 鳳源寺の石段を上ると、ここにも瑶泉院像がたっていました。隣に瑶泉院の遺髪を埋めた遺髪塔がありました。瑶泉院は45才で亡くなり、江戸の泉岳寺に埋葬されましたが、遺髪を7才まで過ごした三次のこの遺髪塔に安置したということです。また義士堂があり、内部に赤穂四十七士の像がありました。また義士堂の右隣には浅野長治が父浅野長晟の七回忌に遺徳を称えて建てたという神道碑がありました。
瑶泉院像

瑶泉院遺髪塔

義士堂

義士堂内部(四十七士像)

神道碑(長治が長晟の七回忌に遺徳を称えて建てた)

2016年8月13日土曜日

三次市を訪ねて(5) 鳳源寺① 

 今、三次・庄原は水泳の金藤選手のオリンピック金メダル獲得で盛り上がっています。この時期三次・庄原方面を訪ねたのも何かの縁でしょう。浅野長治公も喜んでいることでしょう。長治公墓所から比熊山の麓にある鳳源寺に向かいました。臨済宗鳳源寺は浅野長治公が浅野家先祖の菩提を弔うため寛永10年(1633年)に建立した寺です。境内には赤穂義士大石良雄が阿久利姫の輿入れのとき植えたと伝えられるシダレザクラがありました。幹は苔むして時の流れを感じます。石段を上がると義士堂・搖泉院(阿久利姫)の遺髪塔もありました。
臨済宗鳳源寺参道

鳳源寺本堂(浅野長治によって建てられた)

赤穂義士大石良雄によって植えられたシダレザクラ

石段上には義士堂や搖泉院(阿久利姫)の遺髪塔もある

2016年8月12日金曜日

三次市を訪ねて(4) 浅野長治公の墓

 尾関山の次に向かったのは、尾関山と道を挟んで北側の比熊山を少し上った所にある備後三次藩初代藩主浅野長治公の墓所です。坂道を上って行くと、途中から参道の両脇にずらりと石燈籠が並んでいます。108基あるそうです。これは長治公の遺徳を偲んで、平成13年に建てられたようです。長治公は延宝3年(1675年)江戸で亡くなると遺体ははるばる、三次に運ばれ、この地に埋葬されたそうです。墓石には「従五位下浅野氏故因州太守源長治公碑」と書かれていました。参道途中には福田藤兵衛の墓がありました。説明板によると福田藤兵衛は長治の家臣で、私は読んでいないのでよく分かりませんが山本周五郎の小説「殉死」のモデルとなった人だそうです。長治が亡くなると剃髪しこの墓所の近くに小屋を建て、亡くなるまで長治公の菩提を弔ったのだそうです。


初代備後三次藩藩主浅野長治公の墓所に向かう

参道にはずらりと石燈籠が並んでいる

浅野長治公の墓

忠臣福田藤兵衛の墓(山本周五郎の「殉死」のモデル)