歴史さんぽ
2013年4月22日月曜日
東洋のマチュピユ別子銅山跡
4月21日愛媛県の東洋のマチュピユといわれる別子銅山跡を訪ねました。別子銅山は天正5年(1616年)から昭和48年の閉山までの長い歴史を持つ銅山です。最盛期には約3800人が暮らしていたというこの地の学校、病院、娯楽場、社宅などは現在、石垣、煉瓦積みの鉱山施設だけを残し植林された木々に埋もれていました。
索道基地・貯鉱庫跡
索道基地上部(煉瓦が崩れかけている。)
坑道から掘り出した石は、この場所から落として、鉱石と石に分ける。
4月21日というのに、高い山は白くなっていた。
銅山跡から、新居浜市街、瀬戸内海を望む。
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