歴史さんぽ
2016年11月3日木曜日
安芸高田市仁後城を訪ねて
安芸高田市高宮町船木にある仁後城跡に行ってみました。仁後城跡は生田川と用地川の合流地点に突き出た尾根上にあります。城主は不明ですが、1563年8月3日、佐々部に滞在中の毛利隆元が和智誠春にこの城に招かれ供応を受け、宿舎に帰った直後体調を壊し、翌朝亡くなったといわれています。誘導標識に従って城跡への登山口らしいところに行ってみましたが、猪や鹿除けの柵が張り巡らしてあり容易には入れません。時間もないので今回は城跡に登るのは断念しました。低い山ですがかなり急な斜面で攻めにくい城のようです。近くの人に聞くと、最近はイノシシや鹿の他に熊も出没するので厳重に柵がしてあるようです。柵を止めてある針金をほどいて入るのはいいけれど、きちんと元に戻しておいてほしいと言われていました。
仁後城跡全景
仁後城跡誘導標識
仁後城の周りはイノシシや鹿、熊も!を防ぐ柵が張り巡らせてあり簡単には入れない
あまり高い山ではないが急な斜面(今回は城跡に登ることを断念)
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