長く続いたカンボジアのブログもやっと広島に戻ってきました。10月26日西国街道・海田市ガイドの会の方の案内で海田市の史跡めぐりをしました。海田は江戸時代を通じて海田市と呼ばれ広島藩の倉入り地として栄えた町です。干拓により土地を広げ、瀬野川の流路も変えています。町名は海田町ですがJRの駅は海田市です。山陽線が出来た時の駅名が現在もそのまま使われているということです。駅舎が建っているのは、川土手の跡。現役の木製の電柱が立っています。たくさんの電線だけでなくトランスが二つものっています。踏ん張っているね電柱。浜の通りには古い火の見やぐらが立っています。現在は使われていなくて鐘はプラスチックのようです。浜の通りは昭和10年までは水路があり、舟で物資を運んでいたようです。袖うだつがある古い家も残っています。
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JR海田市駅 |
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今も現役で頑張っている木製の電柱 |
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火の見やぐら |
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袖うだつのある家 |
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