歴史さんぽ
2019年11月29日金曜日
広島市南区楠那学区を歩く(3)
穴神社東側に倉田百三文学碑がありました。倉田百三は庄原市の出身ですが、健康が悪化したため、暖かいこの地に移り住み、療養の傍ら戯曲「出家とその弟子」の著作し完成させたのだそうです。穴神社は享保16年(1731年)に創立され、この地には大正9年(1920年)に改築されたようです。爆心地から3840mの被爆建物です。拝殿に埋め立てられる前の楠那学区の写真が掲げてありました。石段下に玉乗り型の狛犬と忠魂碑がありました。最後に見学したのは波返し跡です。高波を防ぐため、石積みの上部に平らな大きな石を海側に突き出して並べて置いたものです。 今はすっかり住宅地になっていますが、かつては海岸沿いだった痕跡が残っていました。今回は駆け足の見学でしたが、改めてゆっくり探索してみたいと思いました。
倉田百三文学碑(平成14年3月建立)
穴神社参道石段
穴神社(被爆建物)
埋め立てられる前の楠那学区の写真
穴神社狛犬と忠魂碑
波返し跡
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