歴史さんぽ
2015年8月29日土曜日
石見銀山街道を歩く(1)
少し前になりますが、8月16日島根県飯南町の石見銀山街道を歩きました。江戸時代、石見銀山で産出された銀は、3泊4日の行程でこの道を通って尾道に運ばれていました。銀が運ばれた公道なので銀山街道と言われています。この赤名峠は標高580mあり、街道130㎞の中で最高所に位置し、最大の難所として銀の荷継の村人を苦しめたと言われています。今回は道の駅赤来高原から国境の境木まで歩きます。歩き始めて、先ずあったのが
安政3年(1858年)に建てられた道標です。銀山街道と出雲街道の分岐点に建っています。道標を過ぎ国道54号を渡り、山あいを通る道を歩きます。現在は舗装道となっていますが、これが銀山街道です。しばらく歩くと京楽院の前にきました。これは戦国時代、
毛利氏と尼子氏との戦いで苦しむこの地の人々を救済するために尽くした
京楽院徳有という僧の墓を本尊とした御堂です。また少し進むと長者原古墳という方墳がありました。七世紀に造られたと考えられています。この道筋は古くから開けていた地域だったことが分かります。
道の駅赤来高原にある銀山街道案内図
安政3年(1858年)に建てられた道標(銀山街道と出雲街道の分岐点に建っている)
現在は舗装されている銀山街道
街道脇にある京楽院(戦国時代毛利氏と尼子氏の戦いで苦しんだこの地域の人々のために尽くした高野山の僧京楽院徳有を本尊とした御堂)
長者原古墳(方墳7世紀造られたものと考えられている)
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