歴史さんぽ
2015年2月5日木曜日
広島の橋(9)本川橋
堺町と平和公園のある中島町を結ぶ本川橋は毛利輝元が広島城築城した頃、猫屋の私財によって架けられ猫屋橋と呼ばれていました。江戸時代は西国街道筋となり広島のメーンストリートでした。明治に入り本川橋と改名され明治30(1897)年トラス橋に架け替えらました。1945年8月6日の原爆により大きな被害を受け、さらにその後広島を襲った2度の台風によりついに落橋しました。昭和24(1949)年残った橋脚を利用し、鋼製の桁は光旧海軍工廠の廃材を再利用して架け替えられました。本川橋東詰には東側河岸と橋げたとのつなぎ目部分に路面用の石として使われていて、平成15(2003)年に補修されたとき、取り外された石が「被爆した本川橋の石材」として保存展示されています。
本川橋(原爆とその後2度襲った台風により落橋。昭和24(1949)年光旧海軍工廠の廃材と残った橋脚を使用して架け直された。)
被爆した本川橋の石材(本川橋東詰)
本川橋橋脚は明治30(1897)年に造られたもの(被爆建造物)
本川橋(相生橋から撮影)
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