歴史さんぽ
2019年1月23日水曜日
安佐南区大塚辺りを歩く(2)岸城跡
古代山陽道であったかもしれない田畑の中の道を東に向かって歩いていくと竹に覆われた小山が見えてきました。岸城跡と思われます。この城は平安時代末期から戦国時代、大塚氏の城であったようです。大塚氏は厳島の神主家であった佐伯氏の一族が土着武士化し、大塚姓を名乗ったようで、大塚四郎兵衛の名が伝わっているとのことです。この地は東は武田氏、西は大内氏、厳島社領につながる要衝の地で、所領争いが絶えなかったようです。登山口と思われるところから山に入ってみましたが、説明板もなく、掘切と思われる場所の南の曲輪は墓所に、北の主郭と思われる曲輪は急坂で道もなく竹が生えていて登ることができませんでした。登り口は無いものかと山の周りを歩いて見ましたが見つからず、鈴なりの柿がもぎ取られることなく放置されているのが印象的でした。
岸城跡(中世の山城跡)
堀切か
主郭と思われる曲輪に登る道は見つからない
鈴なりの柿はもぎ取られることなく放置されている
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